ビートルズの武道館公演を実現させた陰の立役者たち  vol. 44

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過剰なまでの厳戒体制で始まったコンサート

過剰なまでの厳戒体制で始まったコンサート

第5部・第43章

日本の武道を世界に広める目的で建てられた武道館という場所でビートルズ公演を開くにあたって、警察庁は最終的に警官と機動隊1700人、装甲車40台、ジープとパトカーなど70台を導入、武道館付近を徹底的に取り締まって警備に当たった。

逆に言えば実にものものしい警備体制とセットで武道館の使用が許可されたということになる。もちろん場内にも1万人という想定の観客に対して、1400人もの機動隊員が警戒にあたってロビー、廊下、観客席に立ち並んだ。不測の事態が起こらぬようにと60年安保以来となる厳重な警備態勢がしかれたなかで、観客の少年少女達はあたかも左翼のデモ隊と同様、危険分子であるかのごとき扱いをうけることになった。

いかに国中をあげての大変な騒ぎだったのか、朝日新聞は公演の前日に〈天声人語〉で、こんなことを書いていた。

“熱狂させる”のが売りもののビートルズがやってくる。迎えるのは興奮しやすいティーンエージャーだ。興奮しようとまち構えているのである。警備が大ゲサすぎるという人があるが、警備が手薄だと、たいへんな事故が起こりかねぬ。ビートルズとそのファンに対しては厳重な“警察国家”になるのもやむをえまい。……集団ヒステリーにかからぬようファンにのぞみたい……
(朝日新聞 一九六六年六月二九日朝刊)

「厳重な“警察国家”になるのもやむをえまい」という発言に驚かされるが、ことほど左様にビートルズの来日は江戸時代の黒船来航のような騒ぎだった。ビートルズとそのファンたちは今でいうならば、テロに巻き込まれてもしかたがない、被害者予備軍のように見なされていたとことがわかる。

そしてビートルズの来日が決まった直後から始まった狂想曲とも呼べる一連の騒ぎには、右翼によるテロが起こるかもしれないとか、不測の事態が発生するのじゃないかいった、不穏な噂がいつもささやかれていた。万が一そんなことが起こってしまったら警察の面目が丸つぶれになってしまう。雑誌などの記事では裏付けのない流言なども、時にまことしやかに、時に面白おかしく取り上げられた。それをスポーツ新聞が追随するという形で、ビートルズ狂想曲がエスカレートしていった。

過剰としか思えない警備はロックという音楽の持つ力が未知なもので、当時はまだよく分からないままどこかで、不気味だと思われていたことの証でもある。日本では当初からビートルズは突然変異で売り出された。世界中の若者たちを騒々しい音楽で熱狂させる、うさんくさい奇妙な存在だという見方が主流だった。

それに比べると石坂範一郎が社史に残したと思しき音楽ファンに対する言葉には、音楽に救いと解放を求めるリスナーへの優しい眼差しが感じられる。

「繁栄の影に、やり場のない虚無と悲しみを抱いている、当時の世相の中に生きている若者たち」

1966年6月30日、武道館は午後5時に開場した。そして6時を回った頃に司会のE.H.エリックが登場し、日本人ミュージシャンによるオープニング・アクトが開始された。定刻よりも10分遅れだった。

演奏を受け持ったのはジャッキ-吉川とブルー・コメッツ、ブルージーンズが合体したバンドだった。そしてヴォーカルが尾藤イサオと内田裕也で、ビートルズを歓迎するために作られた「ウェルカム・ビートルズ」(井上忠夫・作詞作曲)が披露された。

続いてザ・ドリフターズが前座に用意されたステージではなく、ビートルズのためのステージに登場した。そこで仲本工事が歌う「のっぽのサリー(Long Tall Sally)」をギャグを混じえて演奏し、二分にも満たない時間で笑いをとって、脱兎のごとく素早く退場した。

その後はエレキ歌謡曲でデビューして人気上昇中だった新人の望月浩、ロカビリー出身の尾藤イサオ、内田裕也、桜井五郎、ジャッキ-吉川とブルーコメッツが、合計一時間強にわたって前座を務めた。

ちなみに前座の出演者はすべて、渡辺プロダクションが仕切っていたのだが、1966年の「ミュージック・ライフ」誌の人気投票によれば日本の歌手部門で望月浩が3位、尾藤イサオが4位、内田裕也が8位だった。バンド部門ではブルージーンズが1位、ブルー・コメッツが3位、ドリフターズが5位となっていた。

現在ではなんとも不思議な取り合わせにも感じる前座の出演者だが、それなりには人気者が揃っていて、妥当性もあるメンバーであった。このときに2位のザ・スパイダースが出演を辞退したのは、リーダーの田辺昭知や、音楽面を支えていたかまやつひろしが、「ホンモノの前で恥をかきたくない」と判断したからだった。最も早い時期からビートルズの本質を捉えて本気で追いつこうとしていたスパイダースらしい賢明な判断だった。

なお「日本武道館におけるザ・ビートルズ警備計画書」には前座の扱いに関して、タレント付き人、楽器運搬人などの数は、東芝レコード側が制限し、その数は約2~30人とする予定と書かれてあった。そんなところにも東芝レコードが、本来の主催者であったという痕跡が残っていた。

ビートルズを乗せたキャデラックがホテルを出発したのは午後6時35分、厳重な警戒態勢のなかで、わずか10分後には武道館に到着した。

午後7時35分、いよいよビートルズのコンサートが始まった。観客席の通路には私服の警官270人と、武道館が場内整理に動員した大日本武徳会を始めとする柔道、空手、合気道、応援団に所属する大学生750人が立ち並んだ。

立ち上がることを固く禁じられていた観客はほとんどが少年少女たちで、そんなファンを警備員が見まわってどなりつけるという、今から考えれば何とも異常な光景が繰り広げられていた。「ザ・ビートルズレポート」では竹中労が警備の様子を次のように伝えている。

立ち上がろうとするファンの肩をつかんで席にもどし、せっかく作ってきた『ビートルズ万才!』というノボリを、ひったくるように没収する。
『キチガイ娘!』
『泣くんなら見るな!』
『バカヤロ!』

「ビートルズ・レポート―東京を狂乱させた5日間(話の特集 完全復刻版)」
WAVE出版


観客の一人だった15歳の中学生、松村雄策は後にこんなふうに回想している。

通路を埋め尽くした警官と大学運動部ふうの学生服のガードマン達を、まず思い出す。ビートルズを見るために、我々は敵に囲まれなければならなかったのだ。立ち上がると、押さえつけられて座らされた。ユニオンジャックをかざすと、それを取りあげられた。
終了後、席にうずくまって泣いている少女達を、冷たい目で見る警官とニヤニヤ笑って見る学生服のガードマン。僕は一生忘れない。君達は敵なのだ。ビートルズとビートルズファンに敵意を見せた君達とは、絶対に和解しない。

松村雄策著
「ウィズ・ザ・ビートルズ」

小学館文庫


この夜もそうだったがアリーナ席には観客が誰もいなかった。警察官がぐるっと配備されて1階席と2階席にいるファンの動静を、下から見上げるように監視していた。

そしていよいよビートルズが武道館のステージに登場し、オープニング曲の「ロックン・ロール・ミュージック」を演奏した。その瞬間、それまで静かだったファンは大歓声を上げて迎え入れた。

ところが盛り上がったはずの観衆はすぐに、警備に押さえつけられてしまった。座席わきの通路にずらっと並んだ警備員は、立ち上がるファンやハンカチを振るファンを見つけると、座席に押さえつけることを命じられていた。

だからほとんどのファンは盛り上がりたくても盛り上がれず、膝に手を置いて静かに見るしかなかった。ビートルズのスタッフとして一緒に来日した広報マンのトニー・バーロウは、「武道館コンサート」が静かだったことを冷静に振り返って文章にしていた。

武道館ホールは、設備的にも最高クラスだった。ほぼ円形の建物には二層のスタンド席があり、一万人を動員することが可能だった。広々としたアリーナには客席はなく、広大なスペースの一方に約3メートルの堂々たる仮説ステージが設置され、上からは青い幕がかけられていた。
コンサートは、18時30分開演で、一度の公演しかない夜にしては早いスタートだった。まず目についたのが、行儀のよいファンの姿だった。ビートルズは「行儀がよい」ではなく「規制されている」という表現を使っていた。確かに会場は興奮した空気に包まれていたものの、どこか制御された感じもあった。
これほど静かな雰囲気は1964年のパリ公演以来だった。ただしパリ公演がおとなしかったのは、年齢層が高い男性客が多く、ガールフレンドの前で大騒ぎするのをはばかったからだろうと思っていた。武道館では、数人に一人の割合で警官がいたという警備の厳しさが、ティーンエイジャーを萎縮させてしまったのかもしれない。

トニー・バーロウ著
「ビートルズ!売り出し中」

河出書房新社

初日のコンサートは午後7時35分に始まり、8時5分に演奏が終了した。

全11曲、わずか30分のコンサートの演奏曲目は以下の通りである。

1. Rock And Roll Music
2. She’s A Woman
3. If I Needed Someone
4. Day Tripper
5. Baby’s In Black
6. I Feel Fine
7. Yesterday
8. I Wanna Be Your Man
9. Nowhere Man
10. Paperback Writer
11. I’m Down

アンコールもなくビートルズは武道館を後にした。

終演後、客席に残った女の子たちの多くは泣いていた。少年たちは茫然としていた。

→次回は3月30日更新予定

文 / 佐藤剛
最上部の写真:撮影 / 長谷部宏 提供 / シンコーミュージック・エンターテイメント

著者プロフィール:佐藤剛

1952年岩手県盛岡市生まれ、宮城県仙台市育ち。明治大学卒業後、音楽業界誌『ミュージック・ラボ』の編集と営業に携わる。
シンコー・ミュージックを経て、プロデューサーとして独立。数多くのアーティストの作品やコンサートをてがける。2015年、NPO法人ミュージックソムリエ協会会長に就任。 著書にはノンフィクション『上を向いて歩こう』(岩波書店、小学館文庫)、『黄昏のビギンの物語』(小学館新書)、『歌えば何かが変わる:歌謡の昭和史』(篠木雅博との共著・徳間書店)。

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