【80年代名鑑】明菜からYMOまで 80'sからの授かりもの  vol. 16

Column

松田聖子にとって“飛び級”のチャンスだった「SWEET MEMORIES」。見事に歌いきり、“アイドル”を越えた存在に

松田聖子にとって“飛び級”のチャンスだった「SWEET  MEMORIES」。見事に歌いきり、“アイドル”を越えた存在に

当時(83年)、ペンギンさんがホロリと涙を流す胸キュンCMで話題となったのが「SWEET MEMORIES」だった(作詞は松本隆、作・編曲は大村雅朗)。流れていたのは歌の英語詞の部分であり、しかも当初は画面上にクレジットが出なかったので、誰が歌っているのか分からず接していた人も多かった。

もちろん、声の主は松田聖子だ。既に大スターだった彼女ゆえ、パブリック・イメージというぶ厚い雲を払いのけ、歌声のみを先入観なく届けるのは至難の業だったけど、それに近いことを実現させたのがこのCMだった。

歌声のみを先入観なく…。そう書いてみて思い出したのが、デビュー当時のこと。「裸足の季節」が流れた資生堂「エクボ」のCMである。当初の本人が出演する計画は果たされなかったが、早い時点で「歌声」を世間に認知してもらえたことが、その後の「シンガー」としての礎となり、むしろ出演しなかったことが幸いだったとも言える。環境は異なるが、「SWEET MEMORIES」にも似たところがあったと思う。改めて彼女の「歌声」の特色が特化され伝わったことで、「シンガー」としての新たな可能性へと繋がったからである。

そもそもこの作品、リリース的には「ガラスの林檎」のカップリングとして世に出た。その後、前述の通りCMで大評判になり、改めて“両A面扱い”として「SWEET MEMORIES」のほうをメインにしたシングル・ジャケットが制作され、出し直されたほどだった(その際、CMのペンギンさんもジャケットの右端に顔をみせていた)。

この楽曲は彼女のキャリアからしたら“飛び級ソング”であった。それまでは歌に描かれる恋愛模様が本人の実年齢と並走、また半歩〜一歩先といったA&R(アーティスト・アンド・レパートリー)がなされていたが、ここではそれが崩れ去り、一挙に別の“ステージ”へと移った。作詞の松本隆も、これまでとはちょっと違う気持ちでこの歌詞を書いたと発言している。

曲ごとに彼女が表現すべきもののハードルを5センチづつ上げていったのが従来なら、ここで一気に30センチくらいどかーんと引き上げた感覚だろうか。大袈裟に言うなら、“さてキミに、これが歌いこなせるかな?”みたいな、聖子への挑戦状、とでもいうか…。しかし彼女は歌ってみせた。フォームのバランスを崩さず、見事に30センチ高いクロスバーを越えてみせたのだ。

“なつかしい痛みだわ”という、実に印象的な歌詞で始まる。洋楽の歌詞に“Sweet Pain”という常套句があるが、それを日本語にした感覚だろう。でもこの言葉、人生をオムニバス映画に例えるなら、前半の何編かを見終わった人にこそ滲みるものなのだ。それなのに聖子は、この時点で弱冠21歳であり、“なつかしさ”を振り返るといってもタカが知れていた。しかも追い打ちをかけるように、“ずっと前に忘れていた”という歌詞が続く。彼女にとって、“ずっと前”といっても、同じくタカが知れていたわけである。

もし年相応を目指していたなら、いきなり冒頭から難所が続き、さらに後半の歌詞には“あの頃は若すぎて”とか“色褪せた哀しみ”という表現が出てくる。とりあえず歌ってみたのはいいけれど、“二十歳過ぎのひょっ子がこんな歌をうたっても、ぜんぜん説得力ないよ”と、バッサリやられる可能性もあった。しかし、そうはならなかった。

彼女はどのようにこの歌を“自分のモノ”にしたのだろうか? 思うに“自分のモノ”にはしなかったからこそ成功したのではなかろうか。具体的には、この作品が似合う人間になるのではなく、作品こそが栄えるような献身的な歌を目指したのだろう。

「ガラスの林檎」と較べても、感情移入というか、声の表情のつけ方というか、それは控えめである。前回書いた、“♪リンゴたち~”を“♪(ル)リンゴたち~”と聞こえる歌いっぷりにしたりという技は繰り出してない。原曲を忠実にトレースする感覚だ。

その結果、“「SWEET MEMORIES」ってメチャメチャいい曲だよなぁ〜”と呟きたくなるような、まず楽曲そのものを褒めたくなる仕上がりとなった。松田聖子はこんな大人っぽいバラードを歌えるヒトに成長したのか、という感慨は、ちょっと遅れて、その後に伝わってくる。この順番、ここ作品では実に大切なポイントなのだ。

なにより彼女のことを「認める」人間が増えた。そもそも年長の人間は、「それは自分が感動するに値するモノか否か」というのを気にする傾向がある。でも普段はアイドル歌謡というジャンルに関わりなかったヒトも、この作品は「自分と無関係じゃない」と思った筈だ。そんな“公共性ある感情”を、この歌は宿していたわけだ。

改めて「SWEET MEMORIES」を聴いてみよう。冒頭のアンビエントなシンセの響きは、時を跨ぐタイムカプセルのようだ。そして“あの頃”と今を、時間のシャトルが行き来するかのように歌が展開していく。勝負と思える場所はコーラスのラストの“甘い記憶 sweet memories”のところ。そこまで聴いてきた、途中、様々な感情の起伏がドラマを生み、ここがひとまず終着点だ。その時、ああ、すべてが“甘い記憶 sweet memories”という言葉に収斂されたんだな、と、そう感じさせる歌に達しているのがリッパである。ここで聴き手がシラけたらすべて水の泡だけど、お見事なのである。中盤の英語詞になったところで、大村雅朗のアレンジがジャジーになって、ピアノといいサックスといい、実に高品質が響きが続いていく。

松田聖子はこの歌を、新たにレコ−ディングし直してもいるし、今も大切なレパートリーとして歌い続けてもいる。英語詞の部分が支持されたことは、のちの海外進出の自信にもなったかもしれない。

文 / 小貫信昭

その他の松田聖子の作品はこちらへ

vol.15
vol.16
vol.17

編集部のおすすめ