時代を映したポップスの匠たち  vol. 14

Column

加川良の歌「教訓 Ⅰ」の時代をこえたリアリティ

加川良の歌「教訓 Ⅰ」の時代をこえたリアリティ

吉田拓郎のアルバム『元気です』に「加川良の手紙」というワルツ調の曲が入っている。作詞が加川良。作曲が吉田拓郎。タイトルだけ見ると、加川良からもらった手紙についての歌のようにも見える。歌詞は手紙らしく「拝啓」からはじまり、ぼくはとっても残念でしたという最初のフレーズでは、まだどんな手紙なのか不明だが、歌が進むにつれて、この手紙が加川良から吉田拓郎にあてたものでなく、男性からガールフレンドの女性にあてたものであることがわかってくる。

うたわれているのは、女性が白のジーンズをはいてこなかったのが残念だったこと、映画『ダーティ・ハリー』を一緒に見に行って、帰りに珈琲を飲んだこと、主人公の隣に住む田中さん夫妻のこと、彼女がお母さんにぼくのことを話したかどうか気がかりなこと、などなどだ。

吉田拓郎は、字余りの散文のようなこの歌詞を、早口でたたみかけるようにうたっている。演奏にはピアノ、ドブロ・ギター、スライド・ギター、エレクトリック・ギター、バンジョー、マンドリン、ベース、シンバルなどが使われ、典型的なカントリー・ワルツに仕上がっている。

この曲が生まれたいきさつについて、加川良は『吉田拓郎読本』(音楽出版社)の中のインタビュー記事「西と東に分かれていた頃から縁があった拓郎さん。いつか100人程度のライヴを観てみたい」(聞き手=館野公一)の中でこんな意味のことを語っている。

ある日、拓郎から電話がかかってきて、「余っている曲がないか」とたずねられた。加川良は多作な人ではないが、たまたま曲をつけていない歌詞があった。まだファックスもメールもバイク便もない時代なので、それを持ってレコーディング中のCBS・ソニーのスタジオに行った。すると拓郎は、その場で曲をつけてレコーディングした。歌詞が手紙形式なのは、洋楽には手紙の文章をそのまま歌にしたものがよくあったので、自分でも試しに作ってみたいと思って作詞したのだという。

吉田拓郎は、ステージではこの曲の前ふりとして、加川良が彼女に手紙を書いたが、恥ずかしがり屋だから、投函できないでいた。それでかわりに俺が歌にした、とおもしろおかしく語っていたらしい。たしかに話としては、そちらのほうが断然おもしろい。ラジオの放送では、田中さんから加川良がもらった手紙を歌にしたと、記憶まちがいめいたコメントしていたこともある。いずれにせよ、この手紙がフィクションなのか、個人的な体験をもとにしたものなのかはわからない。

吉田拓郎と加川良は、どちらも1971年に中津川で行なわれた第三回全日本フォーク・ジャンボリーで脚光を浴びた。吉田拓郎は「人間なんて」の絶叫で、岡林信康にかわるフォークのヒーローに祭り上げられた。

加川良は1960年代に無名のグループ・サウンズで活動した後、岡林信康、フォーク・クルセダーズ、五つの赤い風船などが所属していた音楽舎に社員として入り、高田渡や岩井宏の知己を得た。それまでフォーク・ソングに興味を持ったことがなかったが、高田渡からウディ・ガスリーをはじめとするアメリカの古いフォーク・ソングを教わり、自分でも曲を作りはじめた。そして高田渡にすすめられ、1970年の第二回全日本フォーク・ジャンボリーに出演して知られるようになった。

中津川のステージで彼を有名にした「教訓 Ⅰ」は小説家・児童文学者の上野瞭の詩にメロディをつけた曲だ。「お国のために」命を落としても、国は「失礼しました」でおしまい。だから甘言で誘われることがあっても、尻込みして逃げ隠れしなさいとすすめる歌が、彼のねばりのある声で皮肉たっぷりにうたわれている。社会や政治に抗議する歌には、勇ましいものが多いが、この歌は、めめしいと言われてもかまわない、納得できないことはしないという珍しい歌だ。

この歌詞が第二次世界大戦の経験を踏まえて書かれたことはまちがいないだろう。しかし反戦の歌と限定しないで、もっと広く、きれいごとの「偽の大義名分」に惑わされないように、という教訓の歌ととることもできる。近過去では自衛隊が派遣された南スーダンの戦闘状態を他の言葉でいいくるめた政治家が批判を浴びたりしており、この歌の内容は当時より現実味を増して感じられる。

彼の歌のこぶしには、浄瑠璃や義太夫など、日本の伝統芸能のうたい方に通じるところがある。この曲を収録したファースト・アルバム『教訓』の「あきらめ節」は、明治・大正時代の書生節の人気歌手添田唖蝉坊の歌詞に高田渡が曲をつけたものだ。伝統芸能のことは、もしかしたら本人も多少は意識していたかもしれない。

 ただし彼の歌のこぶしが目立つのは、むしろ自作の「赤土の下で」や「ゼニの効用について」といった曲のほうだ。はっぴいえんどのメンバーがバックをつとめた後者は、当時のフォーク・ソングの常識を覆す衝撃的な演奏の曲で、彼の歌声も堂々としていて忘れがたい。

しかし当時のライヴでの彼はギターの弾き語りのことが多かった。高田渡、岩井宏と一緒に「三ばかトリオ」と名乗ってステージに立つこともあった。高田渡がリードをとる「生活の柄」(高田渡のアルバム『ごあいさつ』に収録)は、いまやフォークのスタンダードである。

「教訓 Ⅰ」はかつて吉田拓郎もライヴでうたっていた。21世紀に入ってからでは浜田真理子がシングル「聖歌~はじまりの日~」のカップリング曲として、ピアノ弾き語りしている。大友良英が福島原発事故の後、フェスティバルFUKUSHIMAでこの歌の歌詞を原発に変えてうたった映像も公開されている。

文 / 北中正和

よしだたくろう「加川良の手紙」(アルバム『元気です』より)

vol.13
vol.14
vol.15

編集部のおすすめ