ビートルズの武道館公演を実現させた陰の立役者たち  vol. 50

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高嶋の胸に去来した複雑な思い

高嶋の胸に去来した複雑な思い

第5部・第49章

ビートルズが加山雄三と対面したときの様子について、高嶋弘之は著書のなかで以下のように書いている。これを読むと、専務の石坂範一郎が東京ヒルトンホテルの10階で待っていて、そこに顔パスで入ってきた加山雄三と高嶋が合流したと考えられる。

ビートルズ来日の折、空港では出迎えられなかったが、溜池のヒルトン・ホテルの十階で彼らに会った。当時歌う映画スターとして人気が出ていた加山雄三と四人を会わすため、私は石坂専務に連れられて行った。十階全フロアーを彼らが占有していた。部屋に入ると、左にポール・マッカートニー、その次真中にジョージ・ハリソン、そして一番右にリンゴ・スターが並んで迎えてくれた。こちらは左から石坂専務、加山雄三、そして私。初対面の堅さが抜けないまま、「ハウ・ドゥー・ユー・ドゥー?」とお互いに握手を交わした。

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高嶋弘之著
「「ビートルズ!」をつくった男~レコード・ビジネスへ愛をこめて」
DU BOOKS


このときに高嶋が一人いないことに気付くと、後ろからジョンがそっとやってきて、加山を突然、うしろから羽交い絞めにして左右に揺すっておどけてみせたという。そんなことで緊張感が漂っていた場の空気が一気に和んだのを見て、高嶋は「ジョンが何かで場を盛り上げてやろう、と仕組んだと思いたいし、その時私は、やはりジョンがリーダーなんだなあと感じた」と記している。

当初の予定では高嶋もビートルズの4人と一緒に、食事をすることになっていたらしいが、それはかなわなかった。マネジャーのブライアン・エプスタインに、「あなたたちに話したいことがある」と言われて、別室に呼ばれてビジネス・ミーティングになったからだ。

ブライアン・エプスタインは、とても世界の音楽界を動かしている人には見えない。クールな科学者のような人であった。しかし、私と同年の三十二歳なのに、凄いオーラを醸し出していた。だから石坂専務も私も、丁度、NHKの大河ドラマの織田信長の前に平伏する秀吉状態になっていた。話の内容は自分が今力を入れているシラ・ブラックを、日本でも売って欲しいという話だった。英語には堪能な石坂専務も大変緊張されていた。私は当然、「ハッハー」という感じだった。
(同上)

そのときに加山雄三はビートルズの4人と一緒にくつろいで、お互いのレコードを聴いたり、夕食にすき焼きを食べたりしていた。高嶋はそこに加われないままブライアンとの話が終わった後、ホテルを出てそのまま家に戻ったようだ。そのことについて次のように書き記している。

ヒルトン・ホテルを出た後の事は全く覚えていない。しかし家に帰ってから、空しい気持ちと何故か腹立たしい気持ちが湧いてきた。ビートルズ、ビートルズ、と走り回った自分は何だったのか。
(同上)

東芝レコードの実質的なリーダーだった石坂範一郎とともに、ブライアン・エプスタインとビジネス・ミーティングをしたこと自体は、洋楽部のディレクターとしては誇らしい仕事のはずだった。なのに高嶋はどうして、「何故か腹立たしい気持ち」になったのだろう。

そもそも加山雄三はビートルズに対して、さほど関心を持っていたわけではなかった。どこまで本当かはともかく、「音楽というものはワイワイキャーキャー騒ぎながら演奏したり聞いたりするものではない。だからビートルズは好きになれない」という談話が出たこともあったくらいだ。

ところが直前になって石坂範一郎の誘いがあり、祖母の強い薦めもあって「会ってみたい」ということになった。そこから予定にはなかった部屋への訪問が実現し、ビートルズと歓談した唯一の日本人アーティストになった。加山雄三の訪問スケジュールが本来の予定にはなかったことで、報道陣に対しては表向きの理由として「東芝音楽工業の親会社であるEMIからの手紙を渡すため」という発表があったらしい。

これは想像だが、来日時の警備計画を知るにしたがって、厳重な警戒がしかれたホテルの部屋からビートルズが一歩も出られないことが分かって、少しでも彼らをリラックスさせるために英語を話せる加山雄三が、直前になって声をかけられたのだろう。

そんな瓢箪から駒のような経緯でビートルズと会うことになった加山雄三が、一緒にレコードを聴いて過ごした後に食事をしている。その一方で3年前からビートルズの名前と曲を広めるためにと、心血を注いでプロモーションしてきたにもかかわらず、高嶋はよくわからない英語で進められるビジネス・ミーティングに同席していた。

もともと英語が苦手だったから、会話に加わる場面は少なかっただろう。だいいちブライアンに訊ねられないかぎり、立場的には口をはさむことはできないのだ。そうした状況に置かれたことに、なにか割り切れない思いを感じて、なんとなく悔しい気持ちになったとすれば理解できないことではない。

洋楽のディレクターの場合、普段からアーティストとコミュニケーションをとって仕事をしているわけではない。だからアーティストに直に触れあうことができるという意味で、来日公演という機会はめったにない晴れの舞台である。しかし、念願だった来日が実現したにもかかわらず、ビートルズのメンバーと直に関わりあえる仕事は与えられなかった。ビートルズの周りで働いているスタッフは、招聘元になった協同企画の社員ばかりである。

初期の段階で日本のマスコミにビートルズを知らしめて、有名にしてレコードのヒットに貢献したと自負していた高嶋だが、そのことがトップである久野元治会長にはさほど評価されていないと感じていた。来日公演の可能性やその進捗状況を何も知らされていないまま、情報を与えられなかった数ヶ月のことも、その場であらためて思い出したのかもしれない。

そんなことが重なって生じた複雑な思いが、「ビートルズ、ビートルズ、と走り回った自分は何だったのか」という気持ちになり、「空しい気持ちと何故か腹立たしい気持ちが湧いてきた」のだとするならば、何ともし難い運命だったというしかないだろう。それがレコード会社に勤務する洋楽マンの宿命だったのだ。

→次回は4月20日更新予定

文 / 佐藤剛
最上部の写真:撮影 / 長谷部宏 提供 / シンコーミュージック・エンターテイメント

著者プロフィール:佐藤剛

1952年岩手県盛岡市生まれ、宮城県仙台市育ち。明治大学卒業後、音楽業界誌『ミュージック・ラボ』の編集と営業に携わる。
シンコー・ミュージックを経て、プロデューサーとして独立。数多くのアーティストの作品やコンサートをてがける。2015年、NPO法人ミュージックソムリエ協会会長に就任。 著書にはノンフィクション『上を向いて歩こう』(岩波書店、小学館文庫)、『黄昏のビギンの物語』(小学館新書)、『歌えば何かが変わる:歌謡の昭和史』(篠木雅博との共著・徳間書店)。

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