時代を映したポップスの匠たち  vol. 15

Column

ボブ・ディランへの共感から生まれた岡林信康の『見るまえに跳べ』

ボブ・ディランへの共感から生まれた岡林信康の『見るまえに跳べ』

昨年ノーベル文学賞を受賞したボブ・ディランはアメリカの音楽雑誌『ローリング・ストーン』では、史上最も優れたソングライターの1位に選ばれている。1960年代中期にビートルズのメンバーと彼が影響を与えあっていたのは有名な話だ。ブルース・スプリングスティーンやニール・ヤングをはじめ、彼の音楽の影響を受けたミュージシャンは枚挙にいとまがない。日本でも吉田拓郎、桑田佳祐、中山ラビをはじめ、彼の影響を受けたミュージシャン/シンガー・ソングライターは数多い。

たとえば吉田拓郎は「僕の歌に一番大きな影響を与えたのは、ボブ・ディランである。ディランみたいに生きたい、と憧れていた」「恐らく、僕は、一生、音楽をやっているか、いないかにかかわらず、彼、ボブ・ディランとは別れられないだろう」と『気ままな絵日記』の中で公言していた。

吉田拓郎と同世代でディランから強い影響を受けたのは岡林信康だった。彼は吉田拓郎が「フォークのプリンス」扱いされる前から活躍していたカリスマ的なフォーク・シンガーである。

「歌手として影響を受けたのは高石友也だったけど、ボブ・ディランにはすごく共感をおぼえてね。もう最終的には自分と同一視しちゃったからね。彼の『ライク・ア・ローリング・ストーン』を聴いてロックはすごいと」(『日本のポピュラー史を語る』)

岡林信康は学生時代には牧師をめざしていた。しかしキリスト教の教えに疑問を抱きはじめ、いまでいえば「自分さがし」のために、東京の山谷でボランティアのような形で暮らしていたことがある。そこで高石友也の歌に出会い、「ギターが下手でも、誰でも歌は作れるんだよ」という高石の言葉に刺激されて歌を作りはじめた。

その結果、次々に生まれてきた「くそくらえ節」「山谷ブルース」「友よ」といった一連の歌は、いまもフォークのスタンダードとしてうたい継がれている。強い主張をこめた当時の彼の歌は、フォークといえばカレッジ・フォークの花鳥風月的なきれいな歌というそれまでのイメージを大きく覆すものだった。

しかし急激に人気が出て「フォークの神様」と祭り上げられると、今度はそのレッテルが重荷になってきた。そんなときに出会ったのが、先にあげたボブ・ディランの代表曲「ライク・ア・ローリング・ストーン」だった。社会派フォークの旗手というレッテルを重荷に感じていたボブ・ディランが、その殻を打ち破った記念碑的なロック・ナンバーである。

「フォークの神様」のイメージに苦しめられていた岡林が、そんなディランの音楽に共感したのは自然なことだった。「エレキ・ギターを弾いて歌うヤツは軽薄なボンクラだと思っていた」岡林は、それを機に考えをあらため、エレキ・ギターを手にしてロックをうたいはじめる。フォーク・シンガーとしてのボブ・ディランにそれほど関心がなかった点は、影響の受け方が、吉田拓郎とは少しちがっていたかもしれない。

最初のロック・ナンバーは1969年のデビュー・アルバム『わたしを断罪せよ』に収録されていた「今日をこえて」と「それで自由になったのかい」の2曲だった。前者は、くよくよしないで未来をめざそうという前向きなメッセ―ジがこめられた歌。後者は、自由になったつもりでいる人たちに向けられた歌で、形骸化した労働組合運動に対する批判がこめられている。

この2曲は、中川イサト(ギター)、木田高介(ピアノ)、谷野ひとし(ベース)、つのだ・ひろ(ドラム)のリズム・セクションで録音された。木田以下の3人はジャックスのメンバー、中川イサトは関西の人気フォーク・グループ「五つの赤い風船」のメンバー。「それで自由になったのかい」では風船のリーダー、西岡たかしもハーモニカで参加している。

1970年のセカンド・アルバム『見るまえに跳べ』ではさらにロック色が強まった。タイトルは収録曲「堕天使ロック」の歌詞「見つめる前に跳んでみようじゃないか」からとられている。この言葉は当時の日本では大江健三郎の小説集『見るまえに跳べ』でおなじみだった。英語の慣用句「Look before you leap」(よく見てから跳べ、転ばぬ先の杖)をふまえたフレーズである。

アナログ・ディスクのA面は彼の曲だが、B面は主にジャックスの早川義夫の曲だ。ディレクターは早川義夫。演奏には、はっぴいえんどの大滝栄一(原ジャケットの表記)、鈴木茂、細野晴臣、松本隆が参加し、曲によって、渡辺勝(オルガン、ピアノ)、稲葉正三(ベース)、ドラム(小川敏夫)、木田高介(フルート)が加わっている。

このアルバムで人気が高かったのは、「愛する人へ」「自由への長い旅」「わたしたちの望むものは」といった曲だった。メッセージ・ソングを求められ続ける困惑と、新しく旅立ちたい気持ちの間の葛藤が伝わってくるこれらの作品群は、強い願いと同時に、せつなさにあふれてもいる。それは「堕天使ロック」や「ラブ・ゼネレーション」といった早川義夫の作品のカバーについてもあてはまる。こんなふうに内面を歌で表現していくことは、それまでの歌謡曲にもフォークにも前例がなかった。

彼はこの後『金色のライオン』『誰ぞこの子に愛の手を』といったアルバムで、象徴的な言葉を使ってさらに深層心理にふれる歌も作るにいたるが、そのときもボブ・ディランの手法をまねたと語っている(『伝説岡林信康』)。ボブ・ディランが日本の音楽に与えた影響は、表面的なメロディやうたい方やサウンドだけでなく、そんなふうに歌の領域を大きく広げたことにもあった。

文 / 北中正和

その他の岡林信康の作品はこちらへ

「LIKE A ROLLING STONE」/ボブ・ディラン(アルバム『The Essential BOB DYLAN』より)

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