ビートルズの武道館公演を実現させた陰の立役者たち  vol. 52

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紳士であり、サムライのような本当の日本人

紳士であり、サムライのような本当の日本人

第5部・第51章

石坂範一郎は6月29日に続いて翌30日にも、ビートルズの部屋を訪れていた可能性があったー。前の日にビートルズが加山雄三と一緒にレコードを聴いていた時、部屋には彼らが旅にいつも持ち歩いているポータブル・プレーヤーしかなかった。そこでメンバーの誰かが「もっといい音で聴きたい」と言ったことを、同席していた高嶋弘之が雑誌「ポップス」のコラムに書いている。すると翌日にはさっそく東芝のステレオ「ロンドン」が届けられたという。これもまた石坂範一郎が手配したものだと考えていいだろう。

そう考えていくとメンバーに密着していた永島達司と同じように、ビートルズの来日期間は石坂範一郎もほとんど身内の一人として行動していたとも考えられる。トニー・バーロウがビートルズを招聘した日本側の責任者、永島達司の兄だと勘違いしていたのは二人とも上品な紳士でキングス・イングリッシュを話し、風貌も似ていたのだから無理もないことだった。おそらく二人の間にはいつも、兄弟のような信頼感や親しげな空気が漂っていたのではないか。

来日中にホテルの部屋に閉じ込められていた間、ビートルズのメンバーと石坂範一郎がたびたび話し合っていたようだということを、口数の少ない父から聞いた話として長女の石坂邦子氏から教えてもらったことがある。

実際に1970年代に入ってからのジョン・レノンとオノ・ヨーコ夫妻は、来日すると石坂範一郎のところを必ず訪ねるほどの関係になっていた。ヒルトンホテルの部屋に缶詰になっていた時点から、すでにそういう親交のきざしが始まりつつあったのではないだろうか。

厳重な警備にあたっていた警察によって、ほぼ幽閉されたような状態だった部屋で、ビートルズのメンバーと親交が始まったという店では、ポール・マッカートニーと永島達司の場合も一緒だったようだ。

永島が亡くなったときに、ポールは残された遺族へこんな手紙を送っている。

私の考えでは、タツ・ナガシマは日本の音楽業界にとってもっとも大切な存在でした。彼は日本の人々に西洋の音楽と音楽家を伝えました。彼以上にそのことに秀でた人間を私は知りません。音楽の世界では彼は日本を代表する外交官だったのです。また、個人としての彼は最高の紳士でした。そして私の家族にとっても素晴らしい友人でした。私と子ども達は私たちの大切なタツが亡くなったことを聴いて悲しみに沈んでいます。けれども私たちにはタツと楽しい日々を過ごした思い出があります。ありがとう、タツ。

野地 秩嘉著
「ビートルズを呼んだ男―伝説の呼び屋・永島達司の生涯 」

幻冬舎文庫


ポールはさらに永島のことをこのように評していた。

僕はあの時から五、六回は日本を訪れているけれど、日本という国は表面上はすごく近代的になり、西洋文化が入り込んできている。……しかし、一皮むくと、日本や日本人の本質というのは昔から少しも変わっていないんじゃないか。人々が自己主張しないで謙虚なこと、自然を愛し、自然と折り合いながら暮らしていること……僕にとってのタツは、そんな日本に対する僕の理解と同じなんだよ。タツは背が高い。誰よりも立派な英語を話す。マナーは西洋的だ。でも、彼の本質はサムライのような日本人だよ。芸能界にはワーワーキャーキャーとまるでダンスをするように落ち着きなくしゃべっている人間が多いけれど、タツは必要最小限のことしか話さない。あとはじっと黙ってる。彼みたいな男が本当の日本人だ。
(同上)

ぼくにはこれらの言葉がそっくりそのまま、石坂範一郎にも当てはまるように思えた。

・自己主張しないで謙虚なこと
・自然と折り合いながら暮らしている
・誰よりも立派な英語を話す
・西洋的でも本質はサムライのような日本人
・必要最小限のことしか話さない

広報係として観察眼の長けたトニーの目にも、二人が兄弟に見えたのは当然のことだったのかもしれない。二人ともスマートな紳士で、しかもサムライのような日本人であった。そんな二人がゆるぎない信頼関係に基づいて、石坂範一郎が3年の時間をかけて慎重に準備した来日公演を、永島達司が実現させたのがビートルズ来日公演だった。

石坂範一郎の長男で当時大学生だった敬一によると、武道館のコンサートの会場で見たような、見なかったような不思議なシーンがあるという。

「ブライアン・エプスタインはビートルズが演奏している時、いつもメンバーの横に立っているんだ。あの時も確かそうだった。スーツ姿で、紳士の格好をしながらも、足でリズムをとってるんだ。ゆらゆらと揺れながら気持ちよさそうに聴いている。永島さんがちょうどそうなんだ。ブライアン・エプスタインと同じで、紳士の格好をしながらもロック・ミュージシャンの演奏ちゃんと聴いている。ああいう姿がサマになるのは永島さんだけだ。僕はね、海外であの人に会うと、これこそ日本男子だ、志が高い、と思ってしまう」
(野地 秩嘉著「ビートルズを呼んだ男―伝説の呼び屋・永島達司の生涯 」幻冬舎文庫)

今にして思えば1966年の来日公演は日本人にとって、ビートルズに会える最初で最後のチャンスだった。身内だけの席になった東京ヒルトンホテルの部屋では、ジョンが冗談めかして「まもなくビートルズは解散します。ハイ皆さん、過去の栄光に乾杯!」と言った。その後の歴史を見れば、それは彼の正直な気持ちの発露だったことがわかる。

そして解散はともかく、コンサート活動は8月のアメリカ公演が実質的に最後になってしまった。もしも1966年夏の来日公演を逃していたら、4人のメンバーがビートルズとして日本の土を踏むことはなかったのである。

そう考えるとビートルズの来日公演とは、日本に住んでいた純潔な心を持つビートルズ・ファンの少年少女たちに、音楽の神様がプレゼントしてくれた奇跡だったようにも思える。

それは一過性の来日公演にとどまらず、音楽に限らず日本の文化を変える世紀のイベントとなった。

このことで日本の音楽シーンは根本的な変革を遂げる。

そしてたくさんの人たちが新たなる発展の中で活躍し始めていくなかで、それを周到に準備して実現にこぎつけた本当の主役は、手柄を自慢することもなく、いや、手柄だと誰にも気づかせることなく、ひとり、またひとりと、シーンから退場していくことになる。

→次回は4月27日更新予定

文 / 佐藤剛
最上部の写真:撮影 / 長谷部宏 提供 / シンコーミュージック・エンターテイメント

著者プロフィール:佐藤剛

1952年岩手県盛岡市生まれ、宮城県仙台市育ち。明治大学卒業後、音楽業界誌『ミュージック・ラボ』の編集と営業に携わる。
シンコー・ミュージックを経て、プロデューサーとして独立。数多くのアーティストの作品やコンサートをてがける。2015年、NPO法人ミュージックソムリエ協会会長に就任。 著書にはノンフィクション『上を向いて歩こう』(岩波書店、小学館文庫)、『黄昏のビギンの物語』(小学館新書)、『歌えば何かが変わる:歌謡の昭和史』(篠木雅博との共著・徳間書店)。

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