ビートルズの武道館公演を実現させた陰の立役者たち  vol. 53

Other

ビートルズの曲から浮かんだワイルドワンズという言葉

ビートルズの曲から浮かんだワイルドワンズという言葉

第5部・第52章

石坂範一郎の仕事の流れを見ていくと、東芝レコードの発展に寄与した才能の持ち主に対しては、お礼に何らかのプレゼントを提供することや、仕事上の便宜を図ることで次なる発展へと結びつけてきたことがわかる。

邦楽制作がなかなか軌道に乗らずに困っていた時、山下敬二郎の契約で力を貸してくれた渡辺プロダクション社長の渡邊晋には、クレージーキャッツの「スーダラ節」の時に、日本で初めて外部プロダクションによる原盤制作を認めている。これはその後の音楽業界の方向を決定づけたという意味で、実に画期的な判断となった。

東芝レコードの進むべき道を「黒い花びら」で切り開いた中村八大には、まだ自由に海外へは行けなかった時代にアメリカ旅行の手続きとチケット、および現地でのサポートをプレゼントしている。その体験から世界的な名曲の「上を向いて歩こう」が誕生し、日本の音楽が世界に通用することが初めて証明されたのだった。

ロカビリー・ブームの頃から記事と広告で持ちつ持たれつだった雑誌「ミュージックライフ」を通して、お互いに足りない情報を補完してきた新興楽譜出版社の草野昌一には、ビートルズの独占取材の下準備や根回しなどで協力していた。そのことが日本における良質なビートルズ・ファンの育成につながり、ファンの純粋な思いは来日公演が実現するための心の支えにもなった。

こと音楽に関してはカリスマ財界人で主君にあたる石坂泰三の言葉よりも、ビートルズ・ファンの純粋な心を石坂範一郎は信頼していたと考えていいだろう。日本の音楽を愛する若者たちにとって、ベートーベンや山田耕筰よりも、ビートルズのほうがはるかにリアルな希望であり、救いでもあったのだ。ほんとうのクラシック通だったからこそ、誰よりもそのことをよく理解していたのではないだろうか。

ヴィクトリア朝に代表される保守的なイギリス文化を壊して20世紀の音楽シーンに飛び出てきたビートルズは、未来のクラシック音楽になる存在だった。石坂範一郎の視座は経済的な繁栄を築いた大人たちではなく、ビートルズのメンバーたちやファンのティーンエージャー、あるいは音楽に救いを求める若者たちの側に置かれていた。

繁栄の影に、やり場のない虚無と悲しみを抱いている当時の世相の中に生きている若者たちも、その若者たちに愛される音楽の世界も、決して違う次元のものではない。
(「東芝音楽工業株式会社10年史」)

加山雄三とビートルズを会わせたのは、お互いにとって何らかのプラスになるかもしれないとひらめいからだろう。だから来日の直前になって急に声をかけたのではないか。そしてそのひらめきが、大きな果実となって後に実を結ぶことになる。

日本におけるエレキブームの立役者だったブルージーンズのギタリスト、加瀬邦彦がバンドを脱退することを決意したのは、ビートルズが来日する直前の1966年5月のことだ。ちょうどビートルズの来日公演が発表になり、そこにブルージーンズが前座として出演することが決まった。前座の出演者に関してはすべて、渡辺プロダクションが仕切ることになっていたからだ。

大好きなビートルズと同じ舞台に立てることが誇らしくて、加瀬はうれしくて興奮を抑えきれなかった。しかし喜んだのは束の間で、日本の出演者への取り扱いのひどさに、愕然としつつも全身に怒りを抑えきれなくなった。

コンサート当日は混乱を防ぐために警察と機動隊による徹底した警備が実施される。そのために前座の出演者は演奏終了が終わった後、つまりビートルズが本番を行っている間中、鍵をかけた楽屋で待機するという段取りだとマネージャーから伝えられた。

スケールは違っても、国は違っても、同じ世代、同じ音楽を愛してきたミュージシャンではないか。
楽屋に入れて鍵をかける? フザケルナ!これでは同じステージに立つことはできても、ビートルズを見ることも演奏を聞くこともできない。どうすりゃいいのだ?
この機会を逃したら。おそらくもう二度とビートルズの生の演奏は聞けないだろう。

加瀬邦彦著
「ビートルズのおかげです ザ・ワイルドワンズ風雲録」

エイ出版社


加瀬は客席でビートルズのライブを観ることに決めた。そしてブルージーンズを辞めたのである。そして新しい時代の波に乗るために、ビートルズのような編成のバンドを結成しようと決意した。

幸いにもブルージーンズを脱退した後も、加瀬は所属していた渡辺プロダクションに面倒を見てもらうことができた。というのも作・編曲家の宮川泰に、ソングライティングの能力を期待されていたからだった。

渡邊晋の懐刀的な存在だった宮川はジャズ・ピアニスト出身で、渡辺プロダクションのアーティストの先生的な存在だった。ビートルズの新鮮なソングライティングにも通じる、加瀬の斬新な作曲センスを買っていた。そんな宮川の推薦のおかげで、加瀬には新たなバンドを結成する自由も与えられていた。

このときに加瀬がメンバーの条件として考えたのは、全員ボーカルとコーラスができること、まだプロの世界に毒されていないフレッシュな学生である、このふたつだった。加瀬は高校時代にギターを習ったのをきっかけに親しくなった先輩、加山雄三に相談しつつ大学の仲間などのツテを頼って候補者を探すことにした。こうして集まったメンバーがドラムの植田芳暁、ベースの島英二、ギターの鳥塚繁樹だった。

ビートルズの来日公演の前に、加瀬が目指す新しいバンドが結成されることになった。そして武道館公演を観て刺激を受けた加瀬は、7月7日からバンドの強化合宿をして練習に励み、自分たちのオリジナル曲を作った。そしてビートルズ公演の余熱が残る中で、渡辺プロダクションの原盤制作部門を引き受ける渡辺音楽出版が間に入って、東芝レコードとの契約を進めた。

従来の日本の演歌や歌謡曲と一線を引いて、新しい日本のポップスを意識させたかった。自分たちのレコードのラベルに外国のレーベルのマークが入っていたら、カッコ良いではないか。ほんの爪先だけでも、外国アーチストの仲間入りをしたみたいな気分になる。たぶんに、自己満足なのである。
「それは面白いね。一応、交渉してみるよ」
即刻、却下だと思っていたのに、意外な返事だった。
(同上)

バンドを結成しようと決めた時から、加瀬は外国のレーベルで出したいと思っていたので、交渉役の担当者に一応はそう伝えた。だがあっさりと断られるのを覚悟していた。だが二か月前にビートルズが落とした爆弾の余波が残っていて、加瀬たちのようなグループの追い風となったのである。

初ステージもレコーディングの話も、すべてが予定より数か月は早く進んでいった。東芝レコードからデビューするバンドの名前を、加瀬は敬愛する先輩の加山雄三に依頼することにした。

ビートルズと会ってすき焼きを食べた時、加山雄三はお互いのレコードをかけたりしていた。そこでまだ発売前だったビートルズの新しいアルバム『リボルバー』を聴いていると、メンバーたちがまだタイトルが決まっていないと話していた曲があった。

ジョンが歌うその美しい曲を聴きながら、加山雄三はなんとなく「ワイルド・ワンズ」という言葉を思いついた。しかしそのときにはなんとなく、言いそびれてしまったという。そこへ弟分として可愛がっていた後輩から、バンド名を付けてほしいと頼まれたので、「ワイルド・ワンズ」という言葉をプレゼントすることにした。

→次回は5月1日更新予定

文 / 佐藤剛
最上部の写真:撮影 / 長谷部宏 提供 / シンコーミュージック・エンターテイメント

著者プロフィール:佐藤剛

1952年岩手県盛岡市生まれ、宮城県仙台市育ち。明治大学卒業後、音楽業界誌『ミュージック・ラボ』の編集と営業に携わる。
シンコー・ミュージックを経て、プロデューサーとして独立。数多くのアーティストの作品やコンサートをてがける。2015年、NPO法人ミュージックソムリエ協会会長に就任。 著書にはノンフィクション『上を向いて歩こう』(岩波書店、小学館文庫)、『黄昏のビギンの物語』(小学館新書)、『歌えば何かが変わる:歌謡の昭和史』(篠木雅博との共著・徳間書店)。

vol.52
vol.53
vol.54