時代を映したポップスの匠たち  vol. 17

Column

中央線の名曲といえば、友部正人の「一本道」から

中央線の名曲といえば、友部正人の「一本道」から

最近のポップスには地名をタイトルにつけたり、うたいこんだりするヒット曲はそんなに多くない。目立つのはむしろ水森かおりや氷川きよしらの演歌系の曲だ。一方、土地にちなむグループやユニット名は、関ジャニ∞、KinKi Kids、AKB48、乃木坂46など、少なからず見られる。

全国区の人気をめざすアーティストが名前で地域色を出すのは、かつては得策ではないと考えられていた。ホームとアウェイがくっきり分かれる野球やサッカー・チームの場合ほど極端ではないとはいえ、グループ名に地名が含まれると、よほど特別な場所でないかぎり、その土地にゆかりのない人たちの関心が下がるからだ。

21世紀に入ってその慣例に変化が起こった理由はどうしてなのだろう。音楽にローカル色が強いのなら話はわかるが、必ずしもそういうわけではない。経済格差や地域格差拡大への反動として、ブランドとしての「地域起こし」幻想が好まれるようになった、ということなのだろうか。

曲のタイトルの場合は事情がちがって、場所がどこであっても、そこを舞台に展開する物語がおもしろければ、作品が成り立つ。見知らぬ場所へのあこがれが物語を介してかきたてられるのは、音楽も演劇や映画と変わらない。

1960年代後半から70年代はじめにかけて、フォーク系のシンガー・ソングライターが音楽業界の外側から登場してきたころは、地名のついた歌謡曲や地名がうたわれる歌謡曲のヒットがたくさんあった。

ご当地ソングと呼ばれていたそれらの曲の例をあげてみよう。「柳瀬ブルース」「大阪ロマン」「霧の摩周湖」(以上1966年)、「新宿ブルース」「小樽のひとよ」「新宿育ち」(以上1967年)、「伊勢佐木町ブルース」「釧路の夜」「思案橋ブルース」「長崎ブルース」(以上1968年)、「長崎は今日も雨だった」「港町ブルース」「池袋の夜」「新宿の女」(以上1969年)、「京都の恋」「銀座の女」「知床旅情」(以上1970年)、「よこはま・たそがれ」「砂漠のような東京で」「雨の御堂筋」(以上1971年)などなど。ほとんどは当時ジャンルとして認識されつつあった演歌系の曲だ。

ご当地ソングの多さは、たぶん日本人の旅行好きや観光ブームとも関係があった。ジェリー藤尾の「遠くへ行きたい」のヒットが1962年。ザ・ピーナッツの「恋のバカンス」のヒットが1963年。国鉄(JRの前身)による個人旅行をすすめるディスカバー・ジャパンのキャンペーン開始や、永六輔が各地を訪ね歩くテレビ紀行番組『遠くへ行きたい』の開始が1970年。翌年には、小柳ルミ子の「わたしの城下町」がディスカバー・ジャパンのキャンペーン・ソングに使われて大ヒットしている。

シンガー・ソングライターの耳には、巷に流れるそんな歌謡曲も、好き嫌いはともかくとして、届いていたはずだ。以前このコラムでとりあげた「夜が明けたら」や「どうにかなるさ」も、まさにその時期に生まれた旅の歌だった。

シンガー・ソングライターには歌謡曲のご当地ソングのメロドラマ性に飽き足りない思いを抱いていた人が多い。だから地名を使う歌を作るときも、歌謡曲とはちがう発想を持ちこむことが多かった。まず、歌謡曲では対象にならなかった場所を積極的に選んだ。また、土地を物語の単なる背景ではなく、物語と不可分なものとして描いたり、土地や風土そのものを叙事的に描いたりした。

たとえば岡林信康の「山谷ブルース」(1969年の『私を断罪せよ』収録)は、ホームレスや簡易宿泊所や日雇い労働者の寄せ場などで知られる東京の下町の一角が舞台。抒情的な歌謡曲では、描かれる可能性がまるでなかったような土地だ。この歌には風景描写こそ出てこないが、簡易宿泊所に仮住まいして工事現場で働く労働者の暮らしや嘆きが描かれ、山谷という町の現実を感じさせた。

高田渡の「コーヒー・ブルース」(1971年の『ごあいさつ』に収録)は、京都三条堺町に実在するイノダ・コーヒー店にコーヒーを飲みに行く歌だ。実際は、かわいいウェイトレスの顔を見たくて店に通う歌だから、抒情的と言えなくもないが、特定の場所をこのようにユーモアこめてカジュアルに描いた歌は、演歌系のご当地ソングにはなかった。

吉田拓郎の「高円寺」(1972年の『元気です。』収録)は、中央線に乗っている女の子に恋をしては振られ続けていた男が、自分を好きになってくれた女の子に、君の住まいは高円寺じゃないよね、とたずねる歌だ。高円寺は東京の中央線の駅名。いまもそうかもしれないが、当時は中央線沿線に暮らす漫画家やミュージシャンが少なくなかった。

その中央線の歌といえば、ザ・ブームや矢野顕子の「中央線」、狩人の「あずさ2号」などがよく知られている。しかし、1970年代の名曲をあげるなら友部正人の「一本道」にとどめをさすだろう(1973年の『にんじん』に収録、別ヴァージョンのシングルもある)。デビュー・アルバムのタイトル曲「大阪へやって来た」で大阪について、ボブ・ディランばりの観察眼を発揮していた彼は、『にんじん』の他の曲でも東京の新宿や吉祥寺や井之頭公園、北陸の高岡、長崎などの地名を織りこんで、叙事的な歌をうたっている。

「一本道」で中央線が出てくるのは3番だ。主人公は阿佐ヶ谷の駅に立って、電車を待っている。よそものの彼は、日の暮れたプラットフォームで、見知らぬ街東京の孤独を痛いほど感じている。そして遠く離れた恋人への思いを中央線に託すのだ。ネタバレになるので、これ以上は書けない。主人公の思いと地名がこんな形で結びついた歌は他に類を見ない。吉田拓郎は坂崎幸之助のラジオ番組に出たとき、この歌を絶賛していた。3番の終わった後、短い沈黙があるが、それが永遠に続くかと思えるほど、余韻の残るうたい方が忘れられない。

文 / 北中正和

「一本道」(『にんじん』 <エレック/URC復刻プロジェクト2009>)より

矢野顕子「中央線」(『SUPER FOLK SONG』より)

THE BOOM「中央線」(『Singles + α』より)

ハナレグミ「中央線」(『だれそかれそ』より)

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