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性=生へのめざめ。葛藤する少年少女を志尊淳、栗原類、大野いとが体当たり演技──舞台『春のめざめ』

性=生へのめざめ。葛藤する少年少女を志尊淳、栗原類、大野いとが体当たり演技──舞台『春のめざめ』

KAAT神奈川芸術劇場プロデュース舞台『春のめざめ』が、5月5日より開幕した。この作品はドイツの劇作家、フランク・ヴェデキントが1891年に書いた戯曲で、思春期の少年たちが抱える性のめざめや生きる葛藤を描く。今回、これを白井晃の構成・演出により、若手俳優たちが中心となってストレートプレイで上演。さらに音楽を降谷建志が手がけている。この舞台の初日に先駆け行われたゲネプロの模様を、囲み取材に出席したメルヒオール役の志尊淳、モーリッツ役の栗原類、ヴェントラ役の大野いと、そして白井晃のコメントを交えてレポートする。

取材・文 / 恒川めぐみ 写真 / 二石友希


僕らが演じる14歳は、僕たちが通ってきた道

今は親や教師といった大人と、子供たちとを隔てる壁はさほど高くなく、オープンな関係を築けている人は少なくない。だから学校教育にしろ、性に関する事柄にしろ、疑問をぶつけたり言いたいことが言える環境は開けているのではないか……そんな時代に、この作品が言わんとしていることや時代背景がどの程度伝わるのか?という疑問と楽しみがあった。というのも、『春のめざめ』は1891年に書かれた古典戯曲で、当時としてはそのセンセーショナルな内容から上演が禁止されたこともある問題作だからだ。時代性を含め、その“センセーショナル”がどこまで今の若者に通じるのかが未知数なのである。

劇場に足を踏み入れるとそこにステージはなく、役者たちが演じるであろう場所と同じフロアに最前列の客席が並べられていて、正面いっぱいに大きなアクリル板が張り巡らされているだけ。裏は真っ暗なので、それが鏡にも見える。しかも、席に着こうと思ったら、ギムナジウム(ヨーロッパの中等教育機関)の制服を着たキャストたちが、あたかも観客のひとりであるかのように客席にまばらに座っていて、目の前の鏡に映る自分を無言で見つめている。そんな彼らを鏡越しに見る私たち。まるで舞台の中にポツンと入れられ、作品の一部として存在しているような、妙な感覚だ。やがて生徒役のキャストたちが一列に並び、全員のアクションで物語は動き始める。

白井晃 お客さんと非常に近い距離ですので、どのような反応が起こるかを楽しみにしています。若い俳優が中心の舞台なので、ベテランには出せないエネルギーがあると思いますし、技術ではく、彼らが一生懸命に舞台と立ち向かおうとしているところが一番の見どころだと思っています。

母親(あめくみちこ)とスカートの丈をめぐって問答を重ね、成長期にある自分の体に戸惑うヴェントラ(大野いと)。かたや、性にめざめたメルヒオール(志尊淳)とモーリッツ(栗原類)は、羞恥心に心くすぐられながら性知識の話を始め、子供の作り方を図解で説明するとメルヒオールはモーリッツに約束をする。他の男女生徒たちも子供に関する会話を弾ませたり、勉強や進路に挟まれながらも異性に対する興味でいっぱい──彼らは14歳。ちょうど大人と子供もとの狭間で葛藤を始める思春期だ。

その将来が前途洋々ならまだいいが、彼らの目の前に立ちはだかるのはいつも大人たち。鏡のようなアクリルで創られた舞台装置は2階建てになっていて、学校教師たちは、その上から子供たちを見下ろして“勉学に励んでさえいればいい”と言わんばかりにプレッシャーをかける。制されれば制されるほど感情を増幅させていく子供たちは、止めどなく溢れるやるせなさと性欲を目に見える形で鏡の壁にぶつける。

想像と自慰行為だけで満足がいかなくなった少年・少女たちは、やがて人と対峙することで、その肉体で“性”と“生”を実感することに。親にぶたれたことがないというヴェントラの、「私を叩いてみて」と脚を露わにする姿を見て、何かの衝動に駆られ暴力的になるメルヒオール。ヴェントラは子供の出産の仕組みを聞きだそうと母親に迫るが、母親はまともに答えてくれない。そんな悶々とした感情と社会状況が子供たちに悲劇を運んできてしまう。

メルヒオールは強姦のようにヴェントラと肉体関係を結び、妊娠させてしまうが、出産することは許されなかった。一方、成績の冴えないモーリッツは過度の進学競争に耐えられなくなり、アメリカへの出奔を試みるが果たせず、やがて将来を悲観して自殺。彼の遺品からはメルヒオールのメモが見つかり、メルヒオールは耐えがたい重圧を負ってしまう。果てには彼自身も“性”と“生と死”に痛いほど直面することになる。

度重なる衝撃的なシーンに役者たちは体当たりで挑み、その悲劇は観ている者にもリアルに降り注いできた。この見事なまでの緊迫感を表現するということは、並大抵の精神力ではこなせない。

白井晃 若い俳優のみなさんにはなかなか厳しい表現を求められる作品だと思います。私はまるでギムナジウムの校長先生のように、みんなを叱咤激励しながらここまでやってきたのですが、きっと僕が思っていた予想以上のことを本番に向かってジャンプしてくれるのではないかと期待しています。

栗原類 白井さんは厳しく細かい表現を求めていたので、僕ら全員それぞれに課題があって。最初は何を求められているのかと頭を抱えることが多かったのですが、稽古場からこの劇場に移動して、(この空間の中で)僕らは何を表現すればいいか、どんなタイミングで動いてしゃべるか、という感覚を掴めるようになってきました。不安がないと言ったら嘘になりますが、キャスト、そしてスタッフみんなでこの舞台をイチから作ってきたので、あとは僕らが今まで白井さんが言ってきたこと、何を表現するべきなのかを自覚しながら挑みたいと思います。

大野いと すごく緊張していますが、たくさん稽古もしてきましたし、自分なりに考えたこともたくさんあったので、あとはきちんとヴェントラを生きられるよう、頑張るだけです。

志尊淳 稽古中はコンビニでおにぎりを選んで食べるのが唯一の楽しみだった、というぐらい役のことを考えていました。役とリンクして、憤りを抱えている部分だったり、社会に対して納得がいかないことだったりに、とにかく真剣に向き合っていこうという意識だったので、あまりほかのことを考える余裕がなかったんです。白井さんとみんなと作ってきたものを最大限に、そしてそれを超えるように表現できたらいいなと思っています。

思春期の性への理解、生きることへの葛藤、子供に対する大人たちの抑圧。メルヒオールは、当時の大人たちが創り上げた既成の社会に疑問を持ち、自身の考えを主張できる個人主義であり、自由主義者でもある。教育における権力に対して反抗し、タブーとされていた性にも自由な発想を持つ人物だった。以前、本サイトでそれを演じる志尊淳にインタビューしたとき、彼にもメルヒオールに通じるところがあるのかもしれないと感じたことがある。それは栗原類や大野いと、生徒役を演じたほかの役者たちにも言えるのではないだろうか。だからこそ、今の時代に若い彼らが『春のめざめ』を創り上げる意味があるのだと思う。難しい役どころをこなす彼らのエネルギーは、この作品の時代背景と、若者たちの繊細な心の機微と苦悩に説得力を持っていた。客電が灯る最後の最後まで、考えるべきこと、観るべきところを多く抱える作品だ。

志尊淳 僕らが演じる14歳は、僕たちが通ってきた道でもありますし、(登場人物)各々が抱えているものは、今の若者の誰しもが持っている感情だと思っています。各々の役どころが感じているところを存分に発揮できたらと思っているので、たくさんの方に観ていただきたいです。

KAAT神奈川芸術劇場プロデュース『春のめざめ』

2017年5月5日(金・祝)〜23日(火)KAAT 神奈川芸術劇場 大スタジオ
※5月5日(金・祝)・6日(土)はプレビュー公演
2017年5月27日(土)・28日(日)ロームシアター京都 サウスホール
2017年6月4日(日)北九州芸術劇場 中劇場
2017年6月10日(土)・11日(日)兵庫県立芸術文化センター 阪急中ホール

【原作】フランク・ヴェデキント
【翻訳】酒寄進一
【音楽】降谷建志
【構成・演出】白井晃
【出演】
志尊淳 大野いと 栗原類
小川ゲン 中別府葵 北浦愛 安藤輪子 古木将也 吉田健悟 長友郁真 山根大弥
あめくみちこ 河内大和 那須佐代子 大鷹明良
【企画製作・主催】KAAT 神奈川芸術劇場

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