Interview

オルタナポップなthe peggiesメジャーデビュー。音楽で生きていくと決めた、3ピースバンドの夢

オルタナポップなthe peggiesメジャーデビュー。音楽で生きていくと決めた、3ピースバンドの夢

3ピースのオルタナポップなガールズロックバンド、the peggies。世代交代の波が押し寄せきているガールズバンドシーンの中で、彼女たちほど、聴き手の性別や年齢を選ばないサウンドを響かせているバンドはいない。かわいいけども甘すぎず、カッコいいけど尖りすぎてない。そのバランスが絶妙で、幅広いリスナーに長く愛されそうなポピュラリティーと、ロックバンドだけが持っている高揚感やグルーヴ、ティーンの共感を呼ぶ蒼さが共存している。中学校の軽音楽部での結成から約8年。シングル「ドリーミージャーニー」で待望のメジャーデビューを果たす彼女たちが歩んできた道程をたどる。

取材・文 / 永堀アツオ


「私たちも高校生になったらすぐ、コピバンじゃなくてオリジナルでライブハウスに出たいね」って

まずは、バンド結成のいきさつからを教えてください。

北澤 中学校の時に軽音楽学部でたまたま出会って。バンドを組んでないと部活に在籍してはいけない決まりがあったので、希望のパートが被ってなかったので一緒にバンドを組みました。私は中学1年の時は別のコピーバンドをやってて。もともとギターだったんですけど、2年生になってから歌いたいなと思って、新しいバンドを組むために二人を誘って。

石渡 ベーシストは同じ学年にわたしともう一人の2人しかいなくて。最初、私じゃない方に声をかけてたらしいんですけど、「ごめん、無理って断られちゃったんだけど、もしよかったらやってくれない?」って言われて。

そこまでちゃんと言うんですね(笑)。

北澤 はい、言いましたね(笑)。

石渡 私が断ったらもうほかにいないじゃないですか。そんなひどいことできないと思って(笑)、「私がやります。いいよ」って、快く引き受けました。

大貫 私も同じような感じですね。ドラムが私ともう一人しかいなくて。私とまーちゃん(石渡)は中1の4月から別のバンドをやってたので、まーちゃんいるなら大丈夫だと思って。

石渡 ゆうほとはそれまで、ほとんど話したことがなくて。声をかけてもらった時に、初めてちゃんと話したくらいだったんですよね。

そのバンドではどんな曲をやってたんですか?

北澤 一番最初はレミオロメンをやったよね。

大貫 「RUN」っていう曲。

北澤 でも、当時、まーちゃんが大きな転機を迎えてて。

石渡 ミッシェルガンエレファントと出会ったんですよ。「なじゃこりゃ!」と思って。ミッシェルのコピーバンドをやりたいなと思ったけど、さすがにチバユウスケのがなり声は違うなと思って。ブランキーだったら、メンバーも3人だしいけるんじゃないかと思って。他のメンバーにも聞かせたら、「これいい!」って言ってくれて。あとは、当時流行ってたアニメソングとか。

大貫 中2の時にアニメ「けいおん!」が始まって、周りもみんなやり始める、みたいな。

北澤 ポケモンの「目指せ!ポケモンマスター」とかもやってましたね。でも、ブランキーが一番思い出深いかな。

大貫 ブランキーのコピーを一番たくさんやったしね。

石渡 文化祭の前夜祭で軽音部の出番がちょっとだけもらえるんですけど、全校生徒の前でブランキーの「ガソリンの揺れ方」をやって。半分くらいの子がポカンとしてたけど、「かっこいいね」って言ってくれた子もたくさんいて。

北澤 照明をめっちゃ赤にしてもらってね(笑)。結局、中学生時代はコピーバンドをやって、高校に入ってから、オリジナル曲を作って、ライブハウスに出始めました。

まだ、the peggiesになってない?

北澤 そうですね。メンバーも他にギターの子と、キーボードの子とかがいて。でも、そん時から、ライブハウスにライブを見に行ったり、積極的に音楽に関わっていたのが、この3人だったんですよ。中学生の時に「10代限定フェス 閃光ライオット」が始まって。高校生のバンドがオリジナル曲をやったり、ライブハウスに出てるのを知って。めっちゃかっこいいと思って、高校生のバンドのライブをよく見に行ってて。「私たちも高校生になったらすぐ、コピバンじゃなくてオリジナルでライブハウスに出たいね」って話してたんです。高校生になったら、7月にはライブがやりたいから、まず、出番の30分を埋められる曲を作ろうって、6曲作って。そん時はまだギターの子がいて、4人で合わせて。中学校の時につけた「ライスボール」っていう名前のままやってたんですけど、1年後にギターの子が抜けて、3人になりました。

1年後というと高2だから、当時EMIが主催していたオーディション「REVOLUTION ROCKS」で優勝して、12年2月に開催されたフェス「EMI ROCKS」のオープニングアクトとして、さいたまスーパーアリーナのステージに立った年ですよね。

北澤 それを機に、「この子たち、マジだ!」って思ったんだと思います。

大貫 そこまで本気になれないっていう感じで。そのライブが終わった後、EMIの会議室で、スタッフの方に「みんなは一生、音楽続けていくんだよね」って聞かれて。ギターの子が、手を上げて、ぽろぽろ泣きながら、「ごめん、私は勉強も頑張りたいし、そこまでバンドに本気なれない」って言って。

石渡 切ないけど、よく頑張ったよね。そうやって、ちゃんと自分の気持ちを言うのは勇気がいることだから。

北澤 そこで3人になってからは、3人でずーっとライブをやってます。

今のバンド名に変わったのは?

北澤 さいたまスーパーアリーナの時にバンド名を変えて、新しいバンド名を発表しようっていう話になって。みんなで話し合う時に、私が<パピプペポ>のどれかがいいって言って。可愛いから好きなんですよ。その時のギターの子がペギーっていう単語を出して。そのメールを隣で見てたうちの母が、ペギーってpeggyだけど、peggieにして、複数形にしたら文字がキュって小さくて可愛いって言ってきて。「peggies、めっちゃ可愛いじゃん。どう?」ってメールを送ったら、いいじゃんってなって。最初は語感とか見た目で決めたんですけど、peggyが女の子っていう意味らしいので、意味もあってるし、可愛いし、いいんじゃない、みたいな感じですね。

ちょっと3人で話そうかっていうことになり、大晦日に渋谷の焼き鳥センターに集まって……

北澤ゆうほ(Vo&Gt)

3人は音楽で生きていくんだって決めてました?

石渡 バンドを続けたいし、できたらメジャーデビューしてみたいなくらいの感じでしたね。まだぼんやりしてたと思います。ただ、高校までは学校が厳しくて、CDも全国流通はもちろんダメだし、アー写も顔出しはダメだし、ライブも利益の出る活動はダメだったんですよ。だから、私たち時には、伸び伸びとバンドができるのが大学1年生になってからで。それまでは、結構、大変だったので、これからどれくらいいけるのかなって。

大貫 やっと堂々とレコーディグもできるし、ライブもできるしって。

北澤 自分たちのペースで曲を作って、ライブをやって。良くも悪くも、勉強して成長していこうっていう気持ちよりは、その時その時にできたものを出していくだけっていう、本当に自由にやってて。やっと全国流通にできるっていう喜びもあったので、楽しくやってたんですけど、インディーズでは3枚目のCDになるアルバム『NEW KINGDOM』あたりくらいから、このままでいいのか……って思い始めて。

大貫 ちょうど3人が二十歳になった頃ですね。

北澤 さいたまスーパーアリーナに出てから、3人で音楽をやりたいっていう話を1回もしたことがなくて。ほんと、そういうことは、思っていても、言うのは恥ずかしくて。3人で「メジャーデビューしたいよね」って言い合うのも恥ずかしから、本当に流れでと言うか、その時その時、自主企画できたらいいよねくらいの、何ヶ月か先のことだけでやってたんですね。だから、ちょっと3人で話そうかっていうことになり、大晦日に渋谷の焼き鳥センターに集まって……。

そんな渋いとこ!? おしゃれなカフェとかかと思った。

石渡 大晦日は混んでたからね。

北澤 そうそう。本当は鳥貴族入りたかったんだけど。

あははは。焼き鳥がどうしても食べたかったんですね。

石渡 安くて美味しいから。

北澤 うずらの卵をめっちゃ食べてたよね(笑)。そこで、音楽をやって生きていきたいのかを再確認したんですね。私とまーちゃんは大学を1年でやめちゃってるんですけど、うちのドラムだけ大学に行ってて。

大貫 「このままだったら就活する」って言ったんです。

北澤 「まじか! 就活するのか!!」と思って。じゃあ、大学を卒業するまでに音楽を仕事にできてなかったら、別の道を考えるなり——バンドを諦めることはできないから、もう1回、話し合おうっていうことになって。そうなりたかないから、3人でライブとかもっと頑張ろうねって話して。あと30分で年越すから、じゃあねって。

編集部のおすすめ