Interview

Yasei Collective-1曲の中でシーンが次々変わる変幻自在な音の波動を堪能せよ。

Yasei Collective-1曲の中でシーンが次々変わる変幻自在な音の波動を堪能せよ。

Yasei Collectiveが新作『FINE PRODUCTS』を発表した。2009年に結成以来、ジャンルを特定できないボーダレスなサウンドで多くの音楽ファンをうならせている。昨年4月にリリースした「Lights」以来の新作は、“せーの”で一発撮りしたライブ感ある音源が収録されているという。ルーツもまちまちな4人が目指すYasei Collectiveの形は何なのか?それを垣間見れる取材となった。集大成の作品ともいえる今作を是非堪能してほしい。

取材・文 / 土屋恵介 撮影 / 市川タカヒロ


ほんとの意味でいろんな音楽がミックスされた音楽をやりたい

初登場ということで、まずはYasei Collectiveの紹介をお願いします。

松下マサナオ(Ds) 2009年にインストバンドとして結成して、今年で7年目になります。最初は、僕と中西がロサンゼルスに音楽留学しているときに知り合って、帰国したらバンドやろうって話になったんです。帰国後に、僕が行ってた大学の後輩、ギターの(斎藤)拓郎を入れてトリオで始めたんですが、もうちょっとジャズっぽいカラーが欲しくて、キーボードの別所を入れて4人になりました。

グループとして、どんな音楽性を目指したんですか。

松下 まず、クオリティの部分では、アメリカでやっていたものをそのまま持ち帰ってやろうって感じでした。アメリカのミュージシャンは、フィジカルも楽曲の作り方とかも、当然ですがアメリカで育んで来たものをもとにやってるわけで、それを日本でやろうとするとギャップがある。でも、オレらはそれを最大限残したままやりたいと思ったんです。あとは、ほんとの意味でいろんな音楽がミックスされた音楽をやりたいっていうのがありました。最初はジャムバンドとして始めたんですけど、だんだんボコーダーがメインになった曲が増えてきて、最近はより音が構築されたものになってきたかなと思います。

ジャムバンドでも、アーシーなものからエレクトロニックなものもあるし、括りは大きいですよね。

松下 そうですね。僕らは全部ぎゅっと混ぜて、1曲の中でシーンが次々変わるようなものをやってますね。

例えるなら、サンダーキャット、フライング・ロータス、トータス、フランク・ザッパなどなど様々なアーティストが浮かびます。

松下 サンダーキャットも好きですよ。僕らが初期の段階でモデルにしたのは、LAのニーバディってバンドです。あと、ラダーってバンドも、最初の頃にこういうのやりたいねって話してました。

松下マサナオ

では、それぞれどんな音楽に影響を受けたのかを聞かせてください。

斎藤拓郎(Voc,G,Synth) 僕はもともと、中高はハイスタとかAIR JAM系、当時流行ってたJ-POPが好きで、大学ではジャズ研に入ってジャズを聴いていたんです。大学の頃にニーバディとかを聴き始めました。

プレイヤーとして影響受けた人は?

斎藤 僕はギタリストなのにそんなに知らないんですよ。もちろん、好きな人はいます。例えば、ジャズ寄りのウェイン・クランツ、ニア・フェルダー、大御所だとビル・フリーゼルとか、昔のウェス・モンゴメリーとか好きですね。

別所和洋(key) 僕は大学からジャズを始めて、ジャズミュージシャンになりたいと思って活動してたんです。好きなピアニストだと、ビル・エバンス、ハービー・ハンコック、ブラッド・メルドーとか。このバンドに入った影響で、ニーバディとかを聴き始めました。

その前は、鈴木亜美さんが好きだったそうですが。

別所 そうなんですよ。音楽歴だと、そこからいきなりジャズに行ったんです(笑)。だから、ロック聴いてなかったんです。もともとピアノをやってたので、ジャズはそこからの流れでした。

中西道彦(B,Synth) 僕は小学校からピアノをやっていたんです。両親がクラシックをやっていて。僕が好きだったのは洋楽ですね。イアン・ブラウンとかUKロック、アメリカのロックとかどっぷりで、めちゃめちゃオアシスがどストレートな時代でした。レッチリは大好きで、フリーのベースはめちゃくちゃコピーしてました。そのあと、どんどん音楽を遡って聴いて、今は昔のジャズとかにたどり着いてます。あと、最近で一番好きなのは、デヴィッド・ボウイの『☆(ブラックスター)』でベースを弾いている、ティム・ルフェーヴル。彼のことは、僕と(松下)マサナオがアメリカにいた6〜7年くらい前からずっと追っかけてます。彼はラダーってバンドにいて、この前、ベースマガジンで対談したんですけど、僕のヒーローは昨今その人ですね。

中西道彦

松下 僕は、中学卒業するくらいにTHE YELLOW MONKEYにほんとハマりました。ギター買ってもらったけど全然弾けなくて、すぐ友だちにあげちゃって。で、親戚のにいちゃんが使わないからってドラムセットをもらって叩くようになったんです。それが高1の時でした。その頃、黒夢とかちょっとV系入ったバンドが流行っていて、それをコピーしてました。同列で、AIR JAM系のシーンに憧れて結構コピーしてました。今お世話になってる柏倉(隆史)さん、(福田”TDC”)忠章さん、つねさん(恒岡章)とかは、当時のスーパーヒーローだし、めちゃコピーしてましたね。高3で絶対プロになろうと思って、だったらジャズをやれよって地元のライブハウスの人に言われたんです。東京行ってジャズの勉強しようと思ったんですけど、音楽学校にはすげー勉強しないと入れなくて、結果的に和光大学に入って、ジャズ研でSAKEROCKとか在日ファンクやヤセイのメンバーはじめ、今いろんなシーンで活躍してる連中と会ったんです。でも、ジャズをちゃんと勉強してドラムを上手くなりたいと思って、金貯めてアメリカに行ったんです。LAでの2年間で、マーク・ジュリアナ、ネイト・スミス、ネイト・ウッドとかにすごい影響を受けました。彼らには、今もハマってます。

LAでの体験が、相当このバンドにも影響を及ぼしてると。

松下 そうです。向こうでは、根本からいろんなものを打ち砕かれました。基本的には、あの頃の衝撃、練習しないとゲットできないものがあるって頭の構造になってるんですよ。あんなできないけどやるしかないって感じで、今も家で練習してる感じです。

制作現場の共通言語は

Yasei Collectiveとして曲を作るときの、4人の共通言語は?

松下 ダサいっていうのはよく使います。ただ上手いだけとか、かっこいい感じじゃなく、わざとダサくすることでいい感じに保てるっていうか。それが80’sっぽさとかいろいろなフィルターとしてあるんです。

別所 あと、初期の段階で、これは共通して聴こうって時期があって、そこで4人共通の感覚は培われてたと思います。

松下 それが、さっき言ったニーバディとか、LAでの体験です。やっぱり、一緒にバンドやるからには、4人が同じ感性を持ちたいというのがあったんです。僕らが向こうで得たものを、(別所)和洋と拓郎の2人にも感じて欲しいなって。

別所 合宿して、向こうで学んできたリズムのアプローチを一晩中練習するみたいなこともやってました。今は、拓郎なんか逆に追い越して、作ってきたデモとかすごいことになってて(笑)。基本的にコピーでって言われて、マジか?ってなりますよ(笑)。

松下 オレ叩けないっす、簡単にしていいですかって言いますもん(笑)。

斎藤 やらなくていいよっていうんですけどね。

松下 でも悔しいからやるって言っちゃうんですよ(笑)。

斎藤 そこを見越して作ってるとこもあります(笑)。

松下 それがオレのアップデートにつながってますね。

別所 って意味では、バンドとして有機的な関係性になってきてる気がしますね。

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