映画『光』特集  vol. 3

Interview

『光』、カンヌで大喝采!河瀨直美監督が語る、魂を込めて描いた映画愛

『光』、カンヌで大喝采!河瀨直美監督が語る、魂を込めて描いた映画愛

美佐子は視覚障碍者に向けた映画の音声ガイドの仕事をきっかけに、弱視の天才カメラマン・雅哉と出逢う。雅哉の無愛想な態度に苛立ちながらも、命よりも大事なカメラを前に、次第に視力を奪われてゆく彼の葛藤を見つめるうちに、美佐子の中の何かが変わりはじめるーー。

河瀨直美監督の最新作『光』が公開された。「映画の音声ガイド」という一般にはあまり知られていない題材にスポットを当て、失われた人生に「光」を見つけ出す男女の姿を、主演に永瀬正敏、ヒロインに水崎綾女を迎えて描いた、珠玉のラブストーリー。公開に先駆けて、前作『あん』に引き続き、第70回カンヌ国際映画祭コンペティション部門への出品が正式決定するなど、公開前から大きな注目を集めた同作について、河瀨直美監督に話を訊いた。

取材・文 / 井口啓子 撮影 / 森崎純子
ヘアメイク / 桑本勝彦


前作『あん』の音声ガイドから感じた映画への愛

まず『光』のアイデアはどのように育まれていったのでしょう? きっかけしては、前作『あん』の上映に際して、初めて作品に音声ガイドを付けたことがあったと伺いましたが…。

私自身、音声ガイドのことをちゃんと知らなくて、初めて自分の作品に音声ガイドを付けることになって、先方からテキストが届いたんですよ。「このシーンのこれは監督の意図としてどっちですか?」みたいな細かな問いかけがあって。そこまで考えてくれてるんだ!って、映画への愛を感じたんですね。でも、一般的には音声ガイドや、目が不自由にもかかわらず映画を見ようとする人達の存在自体、あまり知られてなくて、そういう人達を主人公にした映画が作りたいなって、直観的に思ったんです。日本でも音声ガイドって、実は10年ぐらい前から取り組みがなされてたらしいんですが、やっぱり「ある特殊な人達へ向けたもの」になっちゃっていて、一般の人が知ることはなかなかない。もっと多くの人がそれを知って、日本中でそれを楽しめる環境が整備されたらいいなという思いがまずありましたね。

私も音声ガイドについてまったく知らなかったので、まず驚きはありました。映画という表現は、言葉だけでは伝えられないものを映像で具現化するもので、言ってしまえば、視覚ありきの表現ですよね。それを模索し続けてきた河瀨さんが、今回あえて音声ガイドにスポットを当てられたのは、また別の映画の可能性をそこに感じられたということでしょうか?

そうですね。私も目が見えない人たちにとっての映画って深く考えたことはなかったんだけど、そうじゃないんだ!って気付かされたし、それもたんにラジオドラマのような説明的なものではなく、もっと映画表現を生かすようなガイドが作られているのがすごいなと思って。考えてみれば、そもそも映画自体、私たちの感情を「翻訳」するものとしてあると私は思っているので、それを観れない人にも伝えていく手段はあるんだってことですよね。

映画「光」メイキングより ©2017 “RADIANCE” FILM PARTNERS/KINOSHITA、COMME DES CINEMAS、KUMIE

音声ガイドの何たるかについては、水崎綾女さんが演じられた美佐子があるシーンをどう訳するか苦悩する姿に託されていますよね。たとえ目が見えていても、ある表現をどう解釈するかは人によって違うわけで、永瀬さん演じる雅哉が美佐子に「それはあなたの主観じゃない?」と非難するシーンは、見ていてドキッとさせられました。

そうなんですよね。普通の人にとってもそうだし、目の見えない人にとってはなおさら、ガイド次第でその映画の伝わり方が違ってくる。ガイドの方はそれも含めて責任をとって、映画に愛情を注いで関わってらっしゃる。

そういう意味では、「映画」って、「観る」って、何? って突きつけてくるような作品でもあって、監督がずっと映画を撮るなかで考えてこられたことが集約された作品な気がします。

そう思いますね。作中でも登場しますが、「モニター会」と言われる、ガイドを制作するにあたって、実際に視覚障碍の方を招いて、ガイドの内容について話し合う会があるんですけど、そこで議論される内容って、私たちが映画を作りながら常にぶち当たってる壁なんですね。付け加えすぎても説明過多になるとか、取り除きすぎてもまったく伝わらないんじゃないかとか、本当に基本的なことなんですけど、でも、私たちはそういう基本にずっと苦しみながら映画を作っているので。

主演の永瀬正敏さんに関しては、前作『あん』を撮り終えたときにすでに決めて、雅哉の役も当て書きされたということですが、次もやりたいと思われた決め手は?

やっぱり彼は、映画に対するただ事ならない思い入れを10代の頃からずっと持ってらして、現在に至るまで、映画俳優として、日本人俳優として稀有な存在だと思って拝見してましたし、実際に『あん』で一緒にやらせていただいて、役への取り組みが生半可なものではないなと感じられたんです。実際にあの店で本当にどらやきを焼いて売ってもらうとか、私の映画の現場は他とはやり方がちょっと違うので、最初の方は戸惑ってらっしゃることもあったんですが、そこを良しとするというか、むしろ、それをやることで自分も役に入り込んでいけると言って下さっていたので、『あん』で一緒にカンヌに行ったときに、ぜひ一緒にやりたいんだけどって、その場所で声を掛けさせてもらいました。

時間の積み重ねは、他に替えるものがないということ

河瀨作品の現場では、役者が撮影以外の時間も作中の部屋で寝泊まりしたり、私語を禁じられたり、役として生きることが求められるそうですが、河瀨さんが映画で役者に求めるものとは、演技がうまいとかを超えた、役との向き合い方なのでしょうか?

そうですね。もちろん演技力も必要ではあるんですけど、それよりは役とどう向き合うか…。その点、永瀬さんは『あん』のときに「魂を置いてきた」って言い方をして下さったぐらい、役に対する思いがハンパじゃない。それは他の作品を見てもブレてないので、全幅の信頼を置いて任せられるだけでなく、そこから一緒に何をセッションしていこうってとこまで行けるし、現場での私の仕事は、彼の本当にやろうとしていることを邪魔するものを全て排除するという作業だけでしたね。彼が雅哉として生きるために、映画の中では描かれていない彼のバックグラウンドーー彼がかつて写真家だったときはどうだったんだろう?ってことも体験できるような部屋をつくる。そのためには、これまで永瀬くんが実際に撮ってきた写真を、美術部ではなく永瀬くん自身にセレクトしてもらって、それに囲まれて生活するようにするとか…。

それって演じる上では最高の環境だと思うんですけど、実際大変なことでもあるし、日本映画界ではまず他にそういう撮り方をされている監督はいませんよね。河瀨監督の現場は、他にも役者の感情の流れを損なわないように、すべて順撮り(映画の中の時間軸に沿って撮影を進めてゆく)するとか、金銭的にも労力的にも大変なことだと思うんですが、それを敢えてやるっていうのは、そうでないと撮れないものがあるからなんでしょうか?

そう思いますね。時間っていうものの積み重ねは、やっぱり他に替えるものがないんですね。私たちの現実においても、時間を積み重ねてゆくってことは、今日いって明日できるものじゃない。雅哉が生きてきた何十年かの軌跡を、十日とかで作っていかなきゃいけない。それが映画というものではあるんですけど、でも、それでも積み重ねがまったくないよりは、あった方がちゃんと演じることができるだろうって。だから作中に登場する雅哉の写真集にしても、あの物語のキーとなるショットは実際に奈良で撮って欲しいと言って、永瀬さんに撮ってもらったものを雅哉の写真集に使ってるんです。

映画「光」メイキングより ©2017 “RADIANCE” FILM PARTNERS/KINOSHITA、COMME DES CINEMAS、KUMIE

映画が現実を凌駕したというか…。お話を伺えば伺うほど、「映画ってこういうもの」という概念が根本から覆されます。

普通の現場では別に必要とされないことを時間をかけてやらないといけないので。たとえば役者に対して、普通は演技事務の人が終わったらお茶を持っていくところを、時には監督が「彼はいま孤独っていうものを積んでるから、ひとりにさせておいて欲しい」って止めなきゃならない。カメラは廻っていないんだけど、その前と後があるから、そこはそうしておいてくれって。ただ黙って見守っているしかない。それが河瀨組の演出であると、考え方を置き換えないといけない。労力よりも、そういう大変さはあると思います。
こっからここまで歩くとけっこうな距離があるけど、でもそこは車移動じゃなくて役者に自分で歩いてもらって、そのシーンをやるとか。役者にも負担を強いるわけですが、たとえカメラは廻ってなくても、その時間の積み重ねは次に廻るカメラのために必要なわけで…。

1 2 >
vol.2
vol.3
vol.4