映画『光』特集  vol. 4

Interview

撮影監督:百々新が河瀨監督『光』で積んだ妥協のない究極の現場を語る。

撮影監督:百々新が河瀨監督『光』で積んだ妥協のない究極の現場を語る。

弱視のカメラマン・雅哉と視覚障碍者に向けた映画の音声ガイドの仕事をする美佐子を軸に、閉ざされた人生に「光」を見い出す人々の姿を描いた、河瀨直美監督の最新作『光』。第70回カンヌ国際映画祭コンベンション部門への出品が正式決定するなど、公開前から大きな注目を集めている本作において、撮影監督を務めているのが写真家の百々新。いわゆる映画カメラマンの経験は一切ないながらも、前作『あん』でスチールカメラマンを務めた経緯から、今回異例の抜擢となった彼は『光』の撮影現場をどのように見たのか?
実は河瀨監督とは旧知の仲であり、写真と映画という違いはあれど、河瀨監督同様に視覚表現のなんたるかを追求してきた彼にしか語れない、率直で興味深い話が飛び出した。

取材・文 / 井口啓子 撮影 / 荻原大志


「目になる」ような撮り方をした

そもそも今回、百々さんが撮影監督をされることになった経緯から伺えますか?

前作の『あん』の撮影が終わって、公開されたぐらいの頃かな。次、新に撮影頼みたいから筋トレしといてねって。河瀨さんの撮影は手持ちというかカメラを担ぐことが多いので、鍛えといてねってジャブを入れられたわけです。

じゃあ、河瀨監督としては『あん』で百々さんがスチール写真を撮られた時点で、なんらかの手応えがあったということでしょうね。

どうですかね。僕も『あん』のときは、メーキングでべったり入るのは抵抗もあって。もしやるなら僕なりのスチールの入り方をしたいと伝えました。時間のあるときに俳優さんをちょっと連れ出して撮影したり、いわゆる記録的なものでは収まらないような撮り方をしていたので、そこは自分の本業だけに圧倒的にやろうとしたんです。そしたら、「ええ写真が撮れてるやん、そういうのが欲しいねん」ってことの信頼関係で撮影監督をという話になった。

映画「光」より ©2017 “RADIANCE” FILM PARTNERS/KINOSHITA、COMME DES CINEMAS、KUMIE

百々さんとしては写真が評価されるのは当然として、まさか撮影監督!?という…。

そうですね。僕もコマーシャルなんかでフィルムをまわしたことは何本かあるんですけど、こういう長編の劇映画はやったこともない、しかも河瀨監督の映画というので正直ビビりましたけど(笑)。ある意味究極の現場で撮れるチャンスですから、迷う理由はなかったですね。

河瀨監督の映画の作り方は、撮影前から俳優さんに役のままの生活をさせたり、カメラが廻っていないところでも役のまま過ごさなきゃいけないとか、いわゆり演技を越えた、もうひとつの現実をそこに作り出すような感じがあると思うんですが、それに対して百々さんはどのようなアプローチを考えられたのでしょう?

僕は『あん』と、前にも一度河瀨さんの演出してる現場を見たことがあって、河瀨さんの現場で要求されることはある程度、わかっていたつもりなんですけど、いざ自分がカメラを廻すとリングの中に放り込まれたような感じで。「何を撮るか」っていうのを試されるような現場でしたね。
「役者がその空間で役として生きてる」ことをドキュメントするということは、つまり、人間がこういうところに追い込まれたらどういう反応をするか?っていうのを見るわけですから、当然「じゃあ一回やってみようか」といった軽いものではない。
今回の二人も撮影以外はほとんど話すことも、接触することもなく、僕らも彼らを役の名前で呼びますし、多少は合図を送るようなことはあっても、思いを語り合うようなことは一切ないわけです。その中で主人公がどう生きるかっていうのを目撃する、その「目になる」ような撮り方をしています。ものすごい緊張感はありましたね。

ちなみにリハーサルはない…?

リハーサル、やってみたかったですねえ…(笑)。通常の撮影だとリハーサルするんですけどね。
たとえば美佐子が雅哉の部屋に行くシーンだと、美佐子は家から歩いて出発するわけですよ。そこからスタッフが「美佐子が家を出ました、いま角を曲がりました、いま雅哉のマンションに着きました。今からエレベーターで上がります」って報告だけを便りに、僕はカメラを廻し始めて…。すべての現場で極力スタッフは役者の目線に入ってはダメなので、部屋にいるのは雅哉と僕と音声と照明と監督と…最小執行人数ですよね。で、そこで部屋に入ってきた美佐子をどう見るか。そこから始まってるんですよ。だから「よーい、スタート」もないのです。

ある意味、目の前の現実を捉えていくしかない…。百々さんにとっては今回が初撮影監督だったわけですが、河瀨さんの現場が特殊すぎて、初めても何も関係ない気がしますね(笑)。

そうなんですよ。だから、強いていえば写真を撮り続けてるみたいな感覚はありました。ただ写真だとこちらからアプローチして、これは抑えといて、逆でいったろとか作戦を立てて撮れるんですけど、映像はこっちから撮ろうと覚悟したら、あっち側には回れない。もうその場所で撮り続けるしかないんですよ。そこが写真との大きな違いでしたね。そういう僕なりのやり方と河瀨監督の世界観を考えて、どうやって画を詰めていくかっていう…。

映画「光」メイキングより ©2017 “RADIANCE” FILM PARTNERS/KINOSHITA、COMME DES CINEMAS、KUMIE

私が『光』を拝見して印象的だったのが、弱視の雅哉の目で世界をとらえたカットで。ボヤけた世界の一部が薄暗く欠けていて、時折まぶしい光が反射してきて…。視覚障碍者には世界はこんなふうに見えるんだ!という驚きと同時に、どこか魅入ってしまうような抽象的な美しさもあって…。あまり見たことがない、写真家でないと撮れないカットだなあと感じたのですが。

そうですね。やっぱり僕の考え方として、基本的にその場とか事柄みたいなことへの説明は極力排除しようというのがあって。特に映像は動くので、その中に何なんだ?っていう不理解なものがあると、やっぱり見ようとするし、想像力を持つんですね。だから実景や、引き画みたいなのもいくつかあるんですけど、説明的なものを極力排除するというのは意識して撮りましたね。

アップがすごく多いのも、余計な情報を排除するため?

そうですね。でもアップすぎますけどね。河瀨組のアップはドアップなんで。たいてい寄ってるのに、さらに寄っていくので、もうちょっと広い画を撮れば、流れがフッと変わったりするのになあ…と思ったこともあったんですけど、でも今回は視覚の話でもあるので、漠然と見るようなカットは要らないと決意していました。やっぱり人が「見る」ことを考えるためには、クローズアップだったり、漠然としたカットは省いていくということは考えましたね。

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