黒川文雄のエンタメ異人伝  vol. 5

Interview

ドラクエ堀井雄二氏(中)ゆう帝、ミヤ王、キム皇、鳥嶋和彦、鳥山明、導かれし者たち

ドラクエ堀井雄二氏(中)ゆう帝、ミヤ王、キム皇、鳥嶋和彦、鳥山明、導かれし者たち

エニックス社の黎明期を知る男・・・?

エニックスさんとのお付き合いはその頃からですよね? そのゲームコンテストを始めとして……。

堀井 当時のエニックスは雑居ビルの一室でホントすごく狭くてね。しかも、その半分が公団住宅の募集サービス(注9)の業務を展開していました。そんな狭いところにパソコンが13台もあって。

13台もあったんですか?

堀井 入選作を見るためです。そこで福嶋さん(注10)と2人の社員さん。計3人でやっていたんですよ。次に移ったところも新宿の小滝橋通りあたりの布団屋さんの2階です(笑)。それが今や社員何千人規模の会社ですからね(笑)。

注9)エニックスは公団住宅の情報誌を発行する営団社募集サービスセンターとして創業された。
注10)エニックスの創業者の福嶋康博氏。現スクウェア・エニックス・ホールディングス名誉会長

スクウェア・エニックスは規模もソフトもすごいことになっていますよね。でも、そんな黎明期からのお付き合いですね。

堀井 当時のエニックスはいろいろなことをやっていましたよ。お寿司の自動握り機とかね。で、お店を展開するために役員を1年間お寿司のチェーン店に出向させたりとか(笑)。ちょっと早すぎたんですよ。今だったら時代に合ってるのにねえ。

確かに。もしかしたら、そっちでも成功していたかもしれませんね。

黎明期のエニックスはさまざまな事業に挑戦するベンチャー的な企業で、コンピューターゲームの企画や販売もそのひとつだった。同席されたスクウェア・エニックス・スタッフの証言によると、将来有望な事業を探すための会議を定期的に開催していたそうで、指紋センサーの研究などをターゲットにしたこともあったという。

ライター、編集者、クリエイターの三位一体の啓蒙活動

ちなみに、『ポートピア』のリメイクというお考えはないですか?

堀井 いや~、ちょっとね…。32KBしかないし、いろいろ恥ずかしい(笑)。今風のアレンジをすれば大丈夫かもしれないですけど……まあ、時間があればやってもいいんですけどね。

そのあと、『北海道連鎖殺人 オホーツクに消ゆ』、『軽井沢誘拐案内』とミステリー作品が続くわけですけど、確か雑誌にご自身で紹介記事を書いて、お客様を呼び込むみたいなことをされていたんですよね。僕の黒川塾でも語っていただきましたが、そこが編集者でありライターでありクリエイターでもあるという堀井さんのひとつの特徴ですよね。

堀井 そうですね。たまたま週刊少年ジャンプで『ファミコン神拳』っていうページをやっていましたから。『ドラゴンクエスト』のときも、ゲームが出来上がる前からロールプレイングというものが、いかに面白いか伝えていこうと。それで、『ドラゴンクエスト』を作りつつ、ロールプレイングはこういうゲームで、こうやって遊ぶんだよ、みたいな記事を出していったんですよ。それを読んで子供たちはコンピューターのゲーム機で物語を体験するっていうことにすごい夢を見たようで。早く出てほしいみたいなね。

それは、すごくいい啓蒙活動になりましたね。

堀井 ええ。だから僕としては『ドラゴンクエスト』は発売した瞬間から話題になっていたと思っているんです。でも、世間的には何か売れるまでけっこう時間がかかったと思われているみたいで、その辺は齟齬があるんですよ。

実際のところはどうだったんでしょう。

堀井 いや、僕的にはけっこうすぐ100万本いったと思ったんですよ。ただ生産の関係で売切れてなくなってから、次の出荷まで3カ月くらいかかっちゃったんです。その辺の印象があるのかもしれませんね。

当時のお話をいろいろ紐解くと、最初の出荷が50万本くらいということだそうですが。

堀井 最初はあまり本数を製造しなかったんですよね…福嶋さんが固くて(笑)。ただ、みんな最初からけっこう楽観的でしたよ。売れるだろうって。だから、『I』を作り終えて、発売を待つ間からもう『II』の制作に取りかかっていましたね。

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