Interview

NIVEAのCMソングで話題!村上佳佑が持つ手触りの良い、心に沁みわたる声のちから。

NIVEAのCMソングで話題!村上佳佑が持つ手触りの良い、心に沁みわたる声のちから。

昨年秋から「NIVEA」のCMソングとして流れている「まもりたい〜この両手の中〜」。サビの「♪まもりたい」は、もう誰でも口ずさめることだろう。歌っているのは、6月14日にミニ・アルバム「まもりたい」でメジャー・デビューする村上佳佑。実は彼、あの「青春アカペラ甲子園 全国ハモネプリーグ2009夏」で史上最高得点を獲得して優勝したグループのメイン・ボーカルとして、知る人ぞ知る存在だ。パッと見物静かな文学青年風。なのに、撮影時のポージングがやけにキマってる。そのギャップに思わず「もう撮られ慣れてます?」と訊くと、「僕、吸収力ハンパないんです」と、臆することないストレートな笑顔が返ってきた。眩しいほどの新人力。透けて見える底力に清々しい胸騒ぎを覚えた。

取材・文 / 藤井美保 撮影 / 荻原大志


少年時代に過ごした海外生活が育んだ歌への想い

小学校1年生から5年間、アトランタですごしたそうですね。音楽との出会いはその頃でしたか?

なぜかスクールバスに間に合わないことが多くて、学校には毎日母に車で送ってもらってたんです。そこでかかってたのが、母が好きなカーペンターズやクイーンや19(ジューク)さんやコブクロさん。

洋、邦とりまぜてだったんですね。

はい。2年生になった頃にはもう真似して歌うようになってましたね。それが僕の歌のスタート地点だと思います。

ちょっと古めの音楽に触れてたわけですね。

そうなんです。初めて自分から欲しいと思ったのは、山下達郎さんの「JUVENILEのテーマ〜瞳の中のRAINBOW〜」。一時帰国してた夏休みにたまたま観た映画『ジュブナイル』の主題歌でした。聴いた瞬間、「えっ、コレ誰?」って思うくらい歌声に感動したのを覚えてます。財津和夫さんとか井上陽水さんも大好きでした。

アメリカの音楽という意味ではどんな経験をしましたか?

音楽の授業でブルースやカントリーが当たり前のように流れていたので、知らず知らずに自分の中に取り込まれてる気がします。

小6の秋に帰国したそうですが、日本の学校でギャップを感じたりしませんでしたか?

最初はやっぱり浮いてました。何気なくやることがフツーとは違ってたみたいで、ちょっかい出されたりはしましたね。そこで初めて「あれ? 僕ってオカしいのか」と気づいて、意識的に日本っぽさを身につけるようにしていったんです。発言にしても、言い方にしても、立ち居振る舞いにしても。結果、高校生になる頃には、もうすっかり身も心も日本人(笑)。馴染むのはけっこう得意なほうなんです。

歌うことに目覚めたのはいつ頃ですか?

アメリカの小学校がキリスト教系で、クリスマスにページェント(キリスト降誕劇)をやるんですね。僕がやった役は、歌う場面の多いヨセフ。それが人前で歌った最初でした。そこで「上手いね」とみんなに言われたのが、シンガーを志したきっかけだったかもしれません。プロになるなら楽器くらいできなきゃダメだろうと、独学でギターを始めたのが中学生のとき。弾き語りで森山直太朗さんとかコブクロさんとかをコピーしまくってましたね。ファルセットは直太朗さんに教わったと言っても過言ではないです。で、中3の学園祭で歌ったのがまた好評で、これはイケるんじゃないかと思いました(笑)。

高校時代バンドを組んだりはしなかったんですか?

メンバーも見つからなかったし、静岡に住んでいたので、ライブハウスに出るという発想自体がなかったんです。

ふつふつと音楽への志を燃やしつつ京都の大学に進学。

はい。森山直太朗さんも秦 基博さんも、音大ではなく普通の大学に行って活動されてたので、音楽やるなら大学だと思ってる節がありました。ずっとコブクロさんが好きだったので、関西にも行きたかったんです(笑)。

意外とミーハーな動機だったりして(笑)。

そうなんですよ(笑)。すごくシンプルな理由。

気持ちと行動がストレートに結びついているのところはアメリカンな気がします。

あ、そうなのかもしれませんね(笑)。

大学時代に「ハモネプ」で話題なったアカペラ・グループA-Zへ参加

「ハモネプ」で話題なったアカペラ・グループA-Zのみなさんとは、大学で出会ったんですか?

はい。たまたま授業で一緒になった人が音楽好きで、「一緒に軽音楽部に入るか」となったんですけど、なんか部の雰囲気が合わなくて、結局僕はひとりでギターを持って活動することにしたんですね。しばらくして僕が学校のイベントで歌ってたら、その人が「久しぶり!」とやってきて、「『ハモネプ』に出たくてアカペラ・グループ作ったんだけど、やらない?」と誘ってきた。

そうなんですか!

「リード・ボーカルで」と言ってくれたので、僕も「リードだったらやるやる!」みたいな軽いのりで(笑)。行ってみたら、他のパートは全部仕上がっていて、あとは僕がメインで歌うだけという感じでした。本当に「ハモネプ」に出るためだけのグループだったんです。

目的がハッキリしてるのが現代的だなと(笑)。結果、優勝。

放送された翌日から、急に周りの目が変わってビックリしました。結局3回出て、毎回好評だったので、ライブのお声がかかるようになり、けっこういろんなところで歌わせていただきました。

でも、卒業と同時に解散?

それぞれに進みたい道があったので、解散という言葉も出ないくらいジワーッと自然消滅していきました。ファンになってくださった人たちには、僕自身も「上京します」と報告したくらいでしたね。

上京してからはどんな活動を?

いろんな模索をしながら、ユニットみたいな形をとってアンダーグラウンドな活動をしてました。2年間くらいまったく鳴かず飛ばずで、精神的にも下がるところまで下がり、一時ライブ活動をやめたりもしてたんです。そんな姿を見るに見かねて、「佳ちゃん、ライブ再開しなよ」と手を差し伸べてくれる人たちがいた。それで、もう一度奮起してひとりでやってみようと思ったんです。そこからたくさんの出会いがあり、急にいろんなことが上向いていきました。

音楽をより好きになるきっかけをくれた警備のおじさん

うまくいかなかった2年間で、何か見つけたことはありましたか?

当時は、英語詞の曲も多かったし、メロディももっと洋楽っぽかった。とにかく独善的に自分がカッコいいと思うものだけをやってたんです。ある意味ひとりよがり。「コレを届けたい」という思いが足らなかった。だからお客さんに届かず、自分としても手応えもなかった。もう一回頑張ってみようと思ったときにそこを痛感して、音楽を学び直そうと思いました。

どんなふうに学び直したんですか?

面白い出会いがあったんですよ。当時、僕はある駐車場でバイトをしてたんですが、その隣のマンションに昔ジャズをやってたという警備のおじさんがいたんです。なんかの拍子に話すようになったら、そのおじさんは僕の音楽好きを嗅ぎ取って、毎晩のように遊びに来てくれるようになった。そのうち譜面の書き方とかも教わるようになって、僕が家で書いてきた譜面を添削してもらったりもしてました(笑)。ポピュラー音楽の理論とか音楽の歴史みたいなことも教わりましたね。また、もうひとりいたんですよ、警備のおじさんが(笑)。その人は音楽を聴くのが趣味という人で、めちゃくちゃたくさんのCDを貸してくれました。

なんと素敵な音楽学校でしょう!

そうなんです。音楽の大事な部分をいっぱい教わりました。

そんな学び直しのタイミングに、クリス・ハートさんの初武道館のオープニング・アクトを務めるというチャンスがあり、「NIVEA」のCMソングのお話につながったわけですね。

もうホント、ビックリしました。どちらも、村上佳佑史に太字で書かなきゃいけない大きな出来事でした。

CMソングとなった「まもりたい〜この両手の中〜」を最初に聴いたとき、どう感じましたか?

突き抜けるような爽やかさがとにかくキャッチーだなと思いました。恋愛だけじゃなく、家族や友人、仲間など、大切な人への愛情を思い描いて歌いましたね。強さもありながらの優しいトーンということをプロデューサーさんに言われたので、そこも意識しました。

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