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人間と喰種は共存可能か? 難解な問いと役者陣の熱演に劇場が震える。舞台『東京喰種トーキョーグール』公演レポート

人間と喰種は共存可能か? 難解な問いと役者陣の熱演に劇場が震える。舞台『東京喰種トーキョーグール』公演レポート

舞台『東京喰種トーキョーグール』〜或いは、超越的美食学をめぐる瞑想録〜が2017年6月29日(木)、シアター1010にて開幕した。2015年の第1弾公演より2年、主人公・金木研役に松田凌を新たに迎え、人気キャラ・月山習に佐々木喜英が出演。一層パワーアップした“グルステ”の世界を紹介する。

月山降臨。狂乱のディナーが告げる人間社会の矛盾と欺瞞(ぎまん)

本作は、不慮の事故から半喰種となってしまった隻眼の喰種・金木研(以下、カネキ)が主人公。人間でもあり喰種でもあるカネキの周辺には、まるでそのかぐわしい匂いにおびき寄せられたように、様々なキャラクターが集まってくる。

今回、カネキの前に現れたのは、美食家・月山習だ。月山に誘われ、カネキは美食家の集う会員制レストランへと忍び込む。

この月山役の佐々木喜英が、実に吹っ切れた演技で怪気炎を上げる。もともと月山と言えば、原作屈指の変態キャラ。その麗しい容貌を100%無駄遣いするような変態すぎる言動で、ファンからもコアな人気を集めた。ハイソサエティな月山らしく、登場のたびに高らかに歌い上げ、ひとりミュージカル状態。特にレストランのシーンは、佐々木の伸びやかなヴォーカルとアンサンブルの華やかなダンスによってゴージャスにショーアップされ、見応え十分。カネキの脱いだ服を大股広げて嗅ぎたおす姿など、清々しいほどのド変態ぶり。気持ち悪いとしか形容できないはずなのに、ここまでくるとなぜか愛おしくすら思えてくるから不思議だ。

しかし一方で、月山の主催する饗宴は、飛び散る血しぶきに彩られた惨劇のショー。その狂気じみた光景を見ながら、観客はある矛盾を突きつけられる。

私たちは日々何かしらの食事をとって生活をしている。生まれてこの方、一度も他の動物を食べずに生きてきたという人は、ごく少数だろう。教科書で習った食物連鎖。その頂点に立って暮らしていることを、ほとんどの人が何の疑いもなく受け入れている。今、口に運んだその肉に、命があり、家族があったことなど、まるで想像もしていない。喜色満面にグルメに興じるだけだ。

そんな当たり前の顔をした独善に完全に支配されている私たちの脳天を、本作は痛烈に揺さぶりかけてくる。人間の死肉を喰らうことでしか生きられない喰種。この東京には、喰種によって大切な人を奪われた犠牲者が深い憎しみをたたえ暮らしている。一方で、喰種にとっては人の肉を食べることは死活問題だ。それは、人間が、牛や豚や鶏の肉に舌鼓を打つのと何ら変わらない。私たちだって、さっきまで水槽で泳いでいた鮮魚を目の前でおろしてもらえば、歓声を上げるだろう。もはや原形が想像できないまでに容赦なく切りさばかれた刺身を口にして、胃も心も幸福でいっぱいになるだろう。

目の前の舞台で繰り広げられる残忍なショーは、私たちが日々食卓で何気なく目にしているそれなのだと思うと、恐ろしさに目を伏せる自分こそが欺瞞(ぎまん)の塊なのだと気づかされる。

人間と喰種は愛し合うことができるのか。その一途な想いに、劇場が震えた

そんな月山を本作の縦糸とすれば、横糸は、ニシキこと西尾錦 (鈴木勝吾)と西野貴未(山谷花純)の間に生まれた種族を超えた愛だ。喰種であるニシキと、人間の貴未。本来ならば決してわかり合うことのできない関係のふたりは、やがて唯一無二の存在となる。亡き姉(富田麻帆/二役)との回想場面を含め、後半はニシキを中心に人間ドラマとしての色合いがぐっと濃くなる。

そこで光るのが、鈴木の胸揺さぶる渾身の演技だ。回想場面では瞬時に声色を別人のように変え、役者としての器用さを見せつつ、後半は不器用なまでにストレートに感情を放出し、大切な人を失ったニシキの脆さと、今度こそ大切な人を守ろうとする強さを観る者に焼きつける。

特に縦糸と横糸が絡まり合い、壮絶な死闘を編み上げる終盤は、身動きするのもためらわれる緊迫感。ニシキの咆哮に空気が震え、ニシキの慟哭に胸が震える。空気中に潜む微粒子に役者の熱が宿り、空間全体が熱膨張していくようだ。

間もなく映画版の公開も控え、原作、アニメ含め多彩なメディアミックスを展開する本作だが、これだけむきだしの感情をダイレクトに体感できるのは恐らく舞台だけだろう。まるで客席全体がひとつの生き物となったように、目の前の俳優の演技に一緒に呼応しているのが、客席にいながらよくわかる。月山の手刀がカネキの身を貫けば、同じように観客の腹部にも痛みが走る。ボロボロの体を奮い立たせ、月山を制止するニシキに、観客も思わず拳を握る。約700席分の鼓動がひとつとなり、うねりを上げて、大きく脈打つ。きっと満員の本番では、このシンクロニシティはより倍増することだろう。それを経験できるのは、演劇ならではのかけがえのない至福だと思う。

人間とは何か。凄絶なドラマの中で放たれる、松田凌の不可侵の無垢性

2時間20分、ほとばしる熱の渦を目の当たりにしながら、改めて本作の主題である「人間とは何か」「喰種とは何か」について考える。たとえば、芳醇な肉を食することを何よりの快楽とする月山は、人間から見れば化け物そのものだろう。では、同じく喰種でありながら身を挺して愛する人を守ろうとするニシキは、どうか。水とコーヒーと人肉以外は摂食できない身にもかかわらず、友人の手料理を必死に食べようとするトーカこと霧嶋董香(田畑亜弥)は、どうだろうか。そこに、人間から恐れられ、駆逐の対象とされる怪人然とした姿はない。

ではなぜ彼らは人間社会から抹殺されなければならないのか。人間と喰種を分けるものは何なのか。その問いに、明確な答えは出ない。

そんな袋小路に立ちながら、それでも答えを探そうとするカネキの清廉とした姿が、最後に印象に残った。決して頼もしいヒーローというわけではない。戦闘場面でも超人的な力で敵を圧倒するわけでもない。内向的で、気弱。けれど、信じるもののために、ただ真摯に行動を起こす。そんなお人好しすぎるカネキの姿に、希望を見た想いがした。

人間であっても、喰種であっても、社会で共存していくために大切にしなければならないものは同じ。ただ、多くの人はそれをつい見誤ってしまう。一般公募でこの役を勝ち取ったという松田凌の、決して侵されることのない、濁りのない清らかさが、ダークでスプラッタなこの世界にかざされた燭火(ともしび)となっていたことを記して、レポートを締め括りたい。