Interview

三浦祐太朗が語る、愛され続けている母・山口百恵の名曲を歌い継ぐということ。

三浦祐太朗が語る、愛され続けている母・山口百恵の名曲を歌い継ぐということ。

三浦祐太朗くんと会って話しました

最初にアルバムの曲目を見て「いい選曲だなあ」と思い、実際に音源を聴きながら、同じ感想を持ちました。
初めからいい曲がそろっているのだから、当然といえば当然のことと言えるかもしれません。
でも、感心したのです。
当たり前のことを当たり前にできていることに、軽い驚きを感じました。

歌い方が自然で、無理しているところがない。
上手そうにもみせようとしていないし、必要以上に気張ってもいない。
ごく普通に歌っている。
アルバムを聴き終わる頃には、普通に「いい歌詞、いい曲」を歌ってくれるシンガーが登場したことに、喜びを覚えていました。

ここ20年ぐらいのことですが、歌を聴く環境の変化やカラオケ文化の普及によって、ほんとうに歌の心を表現できる歌手が減ってきた感じています。
万人が歌うために作られたカラオケで歌う場合、どうしてもピッチやリズムは正確にならざるをえません。
そうすると機械的に正確な分だけ、歌う人の内なるグルーヴを感じさせることが難しくなります。
生の音を出す楽器演奏者と一緒に歌う場合とは違って、そこにスリルや緊張感が発生しないから、どうしても「自分はこれだけ努力してやりました」ということを、見せよう、聴かせようとなって、余分なところに力が入らざるを得なくなるのでしょう。

そのためだと思いますが、歌の世界にいつのまにか気持ちが入っていくというよりは、歌い手に「聴かされている」という感じを受けることが多いのです。
その点、三浦祐太朗くんの場合は、こちらの側から歌に近づきたくなる、そんな親しめる感じを受けました。
だから会った時に開口一番、冒頭のような感想とともに、「素晴らしいアルバムが出来てよかったですね」と、素直に伝えることができたのです。


ありがたい言葉をいただいて、すみません。

フルサイズで2回しか聴けてないんですけども、そんな感じ(上記のとおり)でした。

ありがとうございます。自分でも余分な力や意識を入れたくない、筋肉で歌いたくないっていうのがずっとあって。
ピッチが合ってて、それでカラオケのこういうの(機器による採点)に合ってりゃいいのかっていうのが、テレビを観ててすごくあって。そうはしたくないなっていうところで歌ったので、佐藤さんの言葉はとても嬉しいです。

ヴォーカリストとして日本になくてはならない人になる、なってほしいなあって、正直に思いましたね。

ははは(笑)、なりたいですね、はい。


アルバム「I’m HOME」に選ばれた楽曲は、山口百恵の座付き作家とでもいうべきソングライター、宇崎竜童=阿木燿子のコンビによるものが6曲、ほかにさだまさしと谷村新司という、日本を代表するシンガー・ソングライターが提供した2曲です。


「スター誕生」というアイドル発掘番組から登場して15歳でデビューした山口百恵が、突然、信じられないくらいに歌が上手くなり、またたくまにアイドルからアーティストへと成長したのは17歳のとき、宇崎竜童=阿木燿子というソングライターと出会った「横須賀ストーリー」からのことです。

そうみたいですね、それはうかがいました。

で、そのあとどんどん上手になって、飛躍的に成長したんですね。それは宇崎さんが歌ってるデモテープを聴いて、曲調とかサウンドの感じみたいなものを受けとめて、そこから彼女は歌い方を自分のものにしていったわけです。


阿木燿子の書く歌の主人公の歌詞は、見事に山口百恵その人と重なるものでした。
そのことについて、本人がこう記しています。

阿木さんの詩を宇崎さんのメロディにのせて歌う時だけが、本気になれた。
歌うというよりも、もっと私自身に近いところで歌が呼吸していた。
思えば阿木さんの詩を歌い始めた頃から、実生活での私の恋も始まったのだけれども、阿木さんの詩の中に書かれた言葉が、私に恋という感情のさまざまな波模様を教えてくれたようにも思う。
(阿木燿子著『プレイバックPartⅢ』新潮文庫 所収 三浦百惠による「解説」より)

本当に自分が自分として歌える楽曲、歌いたい思う作品と出会って成長していった山口百恵は、さだまさしや谷村新司というシンガー・ソングライターたちの楽曲を歌うことによっても、それぞれの良さを吸収していきます。そうやって表現の幅や奥行きを広げ、比類なき表現者としての真価を発揮したのです。


だから、そういう意味で、譜面を読んで歌うのではなくて、ロックバンドのようにコードと歌詞だけ見ながら、みんながヘッドアレンジで作っていくみたいなことを、デモテープを相手にやっていたので大きく変わったと思うんです。
譜面があってオケが出来て、そこで「はい、歌ってください」みたい方法ではなく、ソングライターが作ったばかりのデモテープを聴いて、すぐに表現することの勢いとか、一緒になって作りあげていく良さみたいなものがあったはずです。
祐太朗くんは自分でバンドを組んでいたわけ、そういう方法をずっとやってきたんだろうから、宇崎さんの曲ってすごく馴染みやすいんだろうなと思いました。

そうですね。この間、宇崎さんとテレビ番組でご一緒したときに、やっぱり母の話をして。宇崎さんが最初どんどん曲を提供していくうちに、それをもう、いとも簡単に超えてくる、自分らの想像をいとも簡単に超えてくるっていうので、だんだん「こういう歌をうたわせたらどうだろう」って、「たぶん返せないだろうな」っていう球をどんどん投げていったみたいな話をなさって(笑)。

「これは乗り越えられないだろう」と思ってボールを投げたら軽く打ち返してくるみたいなことっていうのも、ソングライターの側も歌う側も、名人クラスじゃないとできません。

ホントですよね。そういう話とか、母親の「宇崎さんと阿木さんの曲がホントに大好きだ」っていう話を僕も聞いていて、それも今回、宇崎さん阿木さんの曲が多いことの理由のひとつです。


今年の3月に亡くなった作曲家の船村徹は24歳のとき、19歳の美空ひばりに初めて楽曲を書きました。自分でも相当に難しいと思ったジャズ風のメロディーの曲と、土着的な演歌の2曲です。 レッスンのために「ひばり御殿」と呼ばれた自宅で、初めて顔を合わせた時のことを、作曲家として次のように記しています。

私はピアノを弾きながら『波止場だよお父つぁん』を歌った。ひばりさんは手にした譜面に目を落としながら左手に立っている。次にひばりさんが歌った。それは驚くべき歌唱だった。私が注文をつけたのは「ねー お父つぁん」の「つぁ」にアクセントを置くということだけだった。そこを直して歌った三回目の歌唱は完璧だった。「湊は別れてゆくところ」もまた三回で終わった。
私はこの年下の小さな女を見ながら震えていた。年齢の差を超えて畏怖(いふ)の念を覚えた。素直に言えば、彼女の表現力は私の感性の先を行っていた。こんな歌手にどんな曲を書けばいいのか。少しでも手を抜けば歌唱で完膚なきまでにやりこめられるに違いない。ひばりというブラックホールに巻き込まれ、自滅するのではないかという恐怖心に似た思いが胸をかすめた。私にとって彼女との出会いは不世出の歌手『美空ひばり』との戦いの始まりだった。
(船村徹「私の履歴書 歌は心でうたうもの」日本経済新聞社)

それ以降、美空ひばりの曲を書くことは、一曲一曲が真剣勝負になったそうです。そうやって畏怖する歌手のために、作曲家は生涯で50曲近い作品を書いています。


 

真剣勝負の最後が「みだれ髪」っていう歌なんだけど、すごいものがあります。やはりそういう気迫みたいなものを発し合うことが、ソングライターと表現者の間では必要なんですね。そして、そういう勝負があったからこそ、結果として名曲が出来てきたというのがわかります。あなたの歌で「プレイバックpart2」とか聴いてると、それがよくわかる。

そうですねえ、素晴らしいですね。そういう関係っていうか、そういうふうに勝負する球を投げてもらえるヴォーカリストになりたいなってすごく思ってます。

ライブでバンド・スタイルで歌うのを見るのが楽しみですね。

ところで宇崎さん以外のソングライターにはまだお会いしてないんですか?

あ、お会いしました。さださんも谷村さんも。で、谷村さんに至っては、谷村さんのコンサートに飛び入りで参加させてもらいました。それで「いい日旅立ち」を一緒に歌わせてもらったり、初めての経験で緊張しましたけど。で、谷村さんってホント、僕が小っちゃい頃からお世話になって、ご自宅にお邪魔するなんてこともあったので、そういう方と隣り合って一緒に歌うっていうのは、なんかすごい、照れもあったりとか(笑)。でもやっぱり、偉大な大先輩の横で歌うのは嬉しかったですね、はい。

きっと先輩たちも嬉しかったでしょう。

ははは、そう言ってくださってますね(笑)。

でしょう?

はい。

山口百恵さんっていう人に対しても、あるいは提供した作品に対しても、やはりすごく誇りを持っていて、だからその息子さんがまたそんなふうに歌い継いでくれることっていうのは、やっぱりソングライティングをする人にとっては、何よりじゃないですか。歌は、歌い継がれて命を吹き込んでもらわないと、どうしても時代とともに少しずつ古くなったり、忘れられていったりするのです。そうさせないためには必ず、新しいアレンジで、新しいシンガーが歌っていくというふうにしないと、繋がっていかない。そういう意味では、いちばん理想的なかたちが出来たなあと思いました。

さださんの曲では、メロディと言葉ってものすごい密接だなってことを思ったんです。

どこでそう思いました?

たとえばこの、「今更乍ら わがままな私に」とかもそうなんですけど、歌い回しでたとえば「♪いまさらー ながらー わがままなー わたしに」っていうのがたぶんオリジナルで、カバーされている方の中にはここを、「♪いまさらー ながらー わがまーまなー わーたーしに」って伸ばして歌われる方もいます。で、僕も、「まあべつに、そんなに歌い回しで変わるもんじゃないだろう」と思って録ってみたら、全然その言葉が入ってこなくて。で、「この歌い回しだから、この歌詞なんだ」っていうのが、この曲を歌って、ホントによくわかったんですよ、今よりも当時はその言葉とメロディがもっと密接だったんだなっていうのが。だから歌い回しを変えて、ちょっとオリジナティを出そうなんて思うと、その途端にこう、言葉が伝わってこなくなるっていう、そういうことを特にこの曲で感じました。

いわゆる音楽のリズムではなくて、言葉そのものの持つ日本語のリズムというものがありますからね。

そうですね。語り言葉みたいな。

そうそう、これに関してはもう、さださんの才能というのは特別に抜けてるわけだから。日本の歌の100年の歴史の中でも一、二を争うぐらいの人ですからね、この人は(笑)。

そうですね、感じましたね、今回の経験で。

でも、それは歌ってみないとわからなかったことでしょう。しかも、なぞるだけでは、わかるはずがないから。

そうですね、歌ってみないと。だから、すごい再現力だったんだな、母は…ってようやく気が付きました(笑)。

取材・文 / 佐藤剛

ライブ情報

三浦祐太朗ワンマンライブ「HOMESICK」
日時:2017年7月21日(金) 開場18:30 開演19:00
会場:Shibuya eggman

三浦祐太朗ワンマンライブ「Live in 原宿 2017」
日時:2017年9月30日(土) 開場17:00 開演17:30
会場:原宿ASTRO HALL

三浦祐太朗

1984年4月30日生まれ
東京都出身 / 牡牛座 / A型

2008年:バンド「Peaky SALT」ボーカルとしてメジャーデビュー
2010年:バンド活動休止
2011年:ソロプロジェクト始動。楽曲制作、ライブ等を精力的に行う
2012年
舞台「旅立ち〜足寄より」主演・松山千春役に選ばれる(同年7月30日〜8月3日 赤坂・草月ホール)
8月1日 三浦祐太朗として1st Single「旅立ち」でソロデビュー
2013年
全国公演 舞台「旅立ち〜足寄より〜」主演・松山千春役
2012年夏の東京公演に続いて、2月19日〜4月3日全国7都市・全19公演開催
2月20日 1st Mini Album「AND YOU」発売
2014年
3月5日 2nd Single「THE WALK / wktk (ワクテカ) ラバーズ」発売
舞台『FLAMENCO 曽根崎心中』徳兵衛役のカンテ(歌)として出演(同年4月2日〜6日新国立劇場中劇場)
4月よりFM NACK5 キラメキミュージックスター「キラスタ」18:00〜20:00(生放送)水曜・木曜レギュラーパーソナリティ
4月30日 2nd Album「DAISY CHAIN」発売
6月よりTBSテレビ「UTAGE!」月曜23:53〜24:38にUTAGEアーティストとして出演
2015年:1月27日3nd Single「星屑メリーゴーランド」発売
2016年:東海テレビ・フジテレビ系全国ネットオトナの土ドラ「ノンママ白書」 (全7話放送)にバーのマスター佐竹誠役として出演
2017年:FM NACK5 キラメキミュージックスター「キラスタ」18:00〜20:00(生放送)水曜・木曜レギュラーパーソナリティ継続中
オフィシャルサイトhttp://www.yutaro-miura.com/