Interview

長塚圭史×藤原竜也が、前川知大 作『プレイヤー』に挑む

長塚圭史×藤原竜也が、前川知大 作『プレイヤー』に挑む

前川知大 作、長塚圭史 演出の新作舞台『プレイヤー』は、〈天野真〉という死者の言葉が生きた人間の体を通して再生されるという幽霊の物語「PLAYER」を劇中劇とし、藤原竜也演じる〈桜井道彦〉をはじめプロからアマチュアまで多様な俳優たちが集められた“劇中劇”とその“稽古場”という2つの人間関係が行き来しつつ進行していく。俳優たちが戯曲に書かれた言葉を“再生”すること=PLAY(演じること)と、そのなかで死者の言葉を“再生”することが重なり、次第にその境界線をも曖昧になっていくという、複層的な入れ子構造を持った、サスペンスフルなミステリー作品となっている。
昔からの知り合いながら、待望の初顔合わせとなる長塚圭史と藤原竜也は、生と死、現実と虚構、自己と他者が複雑に絡み合う本作にどう向き合っているのか──。稽古が始まって1週間。じっくりと本読みを続け、まだ立ち稽古を始めて間もないという稽古場にお邪魔し、本作に懸ける想いを訊いた。

取材・文 / 永堀アツオ 撮影 / 冨田望


僕の中で圭史さんは、ミッキーマウスみたいな存在

お二方は今作が初めてのお仕事になるんですよね。

藤原竜也 そうですね。ただ、面識は昔からあって、よく飲んだりしてました。

長塚圭史 「いつか一緒にやりたいね」っていう話はずっとしてましたね。今回、僕は前川くんからご指名を受けたんですけど、「どうやったらいいんだろう」と最初は思っていて。それでキャスティングのときに、この “わからないもの”を竜也と一緒にやるのが、なんかいいなと思ったんですよね。

藤原 ずっと「いつか一緒にやれたらいいね」っていう願望を飲みの席で語ってましたけど、そういう話って、話だけで終わることが多いし、実現できることってなかなかないですよね?

長塚 いつのタイミングになるかなんてわからないもんだから。竜也もだけど、小栗旬くんともよく食事をしながら「いつかやりたいね」っていう話をしていて。旬くんとは2013年に舞台『あかいくらやみ~天狗党幻譚~』で実現できたので、竜也と実現できてないっていうのもヘンだなというか、「小栗とやったのに、俺とはやってない」って竜也が思ってるんじゃないかと(笑)。

藤原 あはは。小栗は圭史さんとやってるのに俺はやってないなっていう想いは、多少ありましたよ(笑)。同世代で舞台も一生懸命やってるから、彼の存在っていうのは気にしているところもあるし、嫉妬に似た、憎しみ的感情はありますよね(笑)。

長塚 憎しみって(笑)。

藤原 だから今回、初めて一緒に仕事ができることが本当に嬉しくて。そもそも、圭史さんを嫌う俳優さんっていないから。僕の中で圭史さんは、ミッキーマウスみたいな存在っていうか……。

長塚 え? どういう意味?(笑)

藤原 (中村)勘三郎さんとかミスター(長嶋茂雄)とかに近いというか。好きに実験的なことをやって、面白いものを作ってくれる。制作側には煙たがられる瞬間もあるかもしれないけど、結果的に、お客さんとか共演者も含めて、「圭史さんはやっぱり面白いよな、すごいな」って思われているようなイメージ。それが僕の中で言う、ミッキーマウス(笑)。

長塚 あはは。ひどい例えだね(笑)。

藤原 いやいやいや! うまく言った感じあるよ!(笑)

(笑)長塚さんは、藤原さんのこれまでの活動に対してはどう感じていました?

長塚 竜也は、蜷川(幸雄)さんのところで中心を担うっていう重責を、ある種、十字架のようにずっと背負ってやってきたわけで。しかも、野田(秀樹)さんのところにしろ、(劇団☆)新感線にしろ、確固たるイメージが出来上がっているカンパニーだったり、有名な戯曲だったりで主演を務めることが多いなと思っていたので、それって結構大変なことだし、悩みもきっと抱えただろうし。どんどんイメージを背負わされていくというか、役者ってイメージを背負いすぎてもあまり得をしないと思うから、僕は竜也の芝居を見ながら、違う角度の芝居も見てみたいっていつも思っていたんですよ。だから、今回は本当にいいタイミングだと思っていて。

藤原 圭史さんがおっしゃるとおりですね。僕も35歳になって、蜷川さんが他界してしまって。僕にとってはある種、正確な秤を失くしたみたいなもので、これからどういうふうに自分をジャッジしていくんだろうっていろいろ考えていたんです。芝居をしてても、うまく表現しきれてないんじゃないかと思う時期がやっぱりあって。もうちょっと自己を解放できないだろうかとも悩んだり、なんでこの人はこういう引き出しがあるんだろう、すごいなって、俯瞰で見ちゃう自分がいた時期もあって。もっと、いろんな才能を持った方たちといろんな作品をやっていくべきだろうなと思っていたところだったので、自分にとっても良いタイミングだったんですよね。本もそうだし、演出家も作家も、初めて組む方たちで、共演者も初めての人たちばかり。自分の中では本当にいいタイミングでいい座組に入れてもらったなって思いました。

竜也のこれまでと違う、また新たな一面が見られる

悩んでいたっていうのはいつ頃ですか?

長塚 いつも悩んでるよね?(笑)

藤原 ここ数年は特に、つねに悩んでますね(笑)。なんでもっと違う解釈で表現できないんだろう、とか。10代や20代の頃は勢いである程度乗り越えられる部分があるじゃないですか。でも、30歳を迎えて……30代後半から40代にかけて、第2、第3くらいの変換期ってありますよね?

長塚 わかる。俺も30代前半の頃そうだった。

藤原 だから、本当に今が良い時期なのかもしれないなって思うんです。

長塚 友人として竜也を見ていると、どんどん広がっているようで、実は、狭まっていってしまってる可能性もあるから、そこで何か取り除ける部分があるといいなというのはずっと思っていたことで。そういった意味では、『プレイヤー』は群像劇であり、竜也が演じる〈桜井〉は物語の中心であり、中心の外にもいるっていうのは面白いと思う。〈桜井〉は強靱ではなくて、むしろ一番、観客に近い人物でもある。どちらかというと、これまで強い役や、すごく悲劇な役が多かったり、無意識的にそういうところに陥ってしまう役をやってきた竜也が、お客さんと近い役をやることで、また新たな一面が見られると思うから。

稽古場はどんな雰囲気ですか?

長塚 演出家としては、まだテーブル稽古を始めて1週間というところで、未知数な部分も多いけど、お客さんの集中力や想像力は捨てたものじゃないっていうことを忘れずにやれば、やりきれないことはないんじゃないかなと思っています。みんなフラットだし、稽古場で率先していろんなことをやってくれてる。その力も借りて、きちんといいプロセスを踏んでいけば、話としては多少ややこしいところもあるけど、面白い作品にできるんじゃないかなと。

藤原 立ち稽古をなかなか始めないっていうのは、僕にとってはすごく新鮮な稽古場でしたよ。

長塚 俳優たちがみんな、「立たないの!?」みたいな、身体がもう立ちたがってるのがいいよね(笑)。

藤原 それでも立たせないっていう(笑)。

長塚 そう。わかるけど、そんなにすぐ立たなくたっていいんだよ。稽古に入ってわりとすぐに立ってしまうのは、非常に結果主義でありながら、意外と、その結果に行き着くのに変な遠回りをしている可能性もあるので。面白いことに、立つ前にテーブル稽古を重ねると、戯曲の理解が深まるから立ち稽古もスムーズなんですよ。

藤原 たしかにそうですね。読み解いていく、深めていくっていう作業は、いままで自分がしていたようで、なかなかできてなかったと思う作業なので、すごく大事なこととして捉えてます。基本的なことですけど、すごく大事なことに時間をかけてくれてる感じがしています。

長塚 口語体の言葉というのは、口に出せば、意味が出るから、考えずにやってしまうところがどこかしらにあるんですけど、実はそうでもないということを認識しておかないと怖いなって最近思っていて。今回、前川さんの本が、そういうことを改めて思い知らせてくれたというか。やっぱりちゃんと発語しないといけない。言葉の輪郭をはっきりさせると響いてくるということを改めて教えてくれた感じがしたんです。前川さんのセリフってシンプルなんですよ。でも、くだけすぎてもいない。そういった意味で、この本をきちんと昇華できたら、口語も捨てたもんじゃないって思えるな、と。

藤原 でも、演出家って大変ですよね。誰よりも本に向き合わなきゃいけない。稽古場でもみんなの意見が飛び交うなか、そのひとつひとつに向き合って的確に返して、解決していかなきゃいけない。本を読み解きながら稽古場を回していくのは、改めてすごい作業だなって思いますね。だから……疲れてるんじゃないですか?(笑)

長塚 ホント、ミッキーマウスも大変ですよ(笑)。

藤原 あはは!

長塚 でも、楽しいですよ。本が難しいとか、どうやったらいいんだろうって悩むことは、演出家としては面白い。「相手にとって不足はない」という感じだから。