黒川文雄のエンタメ異人伝  vol. 6

Interview

乙女ゲーム生みの親 襟川惠子氏(上)フランス人形から不良少女へ!?

乙女ゲーム生みの親 襟川惠子氏(上)フランス人形から不良少女へ!?

音楽、映画、ゲームなどを総称するエンタテインメントは、人類の歴史とともに生まれ、時代に愛され、変化と進化を遂げてきました。 そこには、それらを創り、育て、成熟へ導いた情熱に溢れた人々がいます。この偉人であり、異人たちにフォーカスしインタビュー形式で紹介するエンタメ異人伝。 今回は乙女ゲームのパイオニアであり、コーエーテクモホールディングス代表取締役会長の襟川恵子氏(恵は旧字体の惠)に、ご自身の幼少期から、夫であり『信長の野望』シリーズなどのプロデューサーでもあるシブサワ・コウ氏にまつわるお話まで余す事なく伺いました。

インタビュー取材・文 / 黒川文雄


シブサワ・コウの実妹・襟川クロさんの話題から

今日はお時間いただきありがとうございます。私は以前、ギャガという会社におりまして、シブサワ・コウさんの妹さんである襟川クロさんと映画のお仕事をさせていただいたことがあるんです。

襟川恵子 え!偶然ですね。ギャガということは藤村(哲哉)さんをご存じですか。

はい。藤村さんは私の師匠というべき方で、最近、ハリウッド映画版『攻殻機動隊』のプロデュースをされたということもあって、このインタビューの第二回に出ていただきました。

ギャガ創業者 藤村哲哉氏が苦難を乗り越えて培ったビジネススキル(上)

ギャガ創業者 藤村哲哉氏が苦難を乗り越えて培ったビジネススキル(上)

2017.03.20

襟川恵子 藤村さんは昔からの知り合いでして、今も一緒にお仕事の話をしているんです。

どんな話か、ぜひ、公開できる段階で詳しく聞かせてください。それではお話を聞いていきたいと思います。会長は1949年のお生まれとのことですが、出身は神奈川県のどちらでしょうか。

襟川恵子 日吉です。現在、私どもの「科学技術融合振興財団(注1)」が入っているビルがあるのですが、そこに私の祖母が住んでおりました。ですが、恵比寿で歯科医をしていた父が早くに他界しましたので、子供を育てるのに環境がいいということもあって、母と一緒に群馬県の別荘だった川原湯に移ったんです。八ッ場(やんば)ダムになったところです。

注1)シミュレーション・ゲーミングの研究助成などを行っている公益財団法人で、襟川恵子氏の夫である襟川陽一氏が理事長を務める。通称「FOST」。

人生が変わった艱難辛苦の3年間

群馬県川原湯の小学校時代 前列左(帽子)

あの、いろいろ問題になったダムですか。

襟川恵子 ええ。小学生のときに3年近く、そこで暮らしました。ものすごく自然環境に恵まれたところで、小さいときはそこに行くのが大好きでした。本当に素晴らしいところなんですけど、そこから学校に通うようになったら話はまったく別です(笑)。まず、学校まで4キロくらいありまして、ずーっと歩いていかなきゃならないんです。

子供の足で4キロは大変ですよね。

襟川恵子 大っっ変でした! 冬の寒い日には、地面が凍りつき、吹雪の中を歩くときなど特に…。しかも、片側が崖で上から石が落ちてくることもあるんです。その反対側は渓谷で落ちて子供が亡くなったりしたこともあって、危ないので何人かで列を作って学校に通っていました。あそこで相当精神的に強くなったといいますか、あの頃の体験が今に生きている気がしますね。

自然環境以外に精神的に強くなるようなことがあったのでしょうか。

襟川恵子 学校でいじめられたんです、ものすごく!!

それはやっぱり都会から来たということで?

襟川恵子 そうです。都会の子だというので、ものすごくいじめられました。どういうわけか優秀で頭のいい子にいじめられるんですね。でも、ひとりだけすごく優秀な子でいじめをしない子がいたんですが、なぜかそういう子は私が泣かしたりしていました(笑)。

良くもあり厳しくもあり、といいますか、すごい環境だったんですね。

襟川恵子 自然環境はステキでした。景色は本当にきれいですし、草笛を吹いたり木の実を取ったり。山火事を見つけて、警察に表彰されたこともありました。ただ、あそこでのいじめは尋常じゃなかったです。私の祖父は狩猟が趣味で猟犬を飼っていたのですが、いじめが怖いので、その猟犬を学校に連れていったりしました。子供は猟犬を怖がるから、学校に着くまではいじめられないんですよ。でも、犬は学校に着くと勝手に帰ってしまうので、結局、帰りにいじめられるんですけどね。心配をかけたくないので、親には絶対に言いませんでしたし、あれで根性がついたと思います。

昔のいじめっ子が今は教頭先生に

先生が止めるとか、そういったことはなかったんですか?

襟川恵子 先生はすごくいい方たちでした。先生のお宅にお友達と遊びに行って、お昼をごちそうになったりしたのはいい思い出です。でも、いじめってどういうわけか先生には言いつけませんでした。

やっぱりそういうものですか。

襟川恵子 そうですね。それで、私をいじめた子の一人は、のちに中学校の教頭になりまして。今は仲良くしているんですけど、私へのいじめを凄く後悔して「絶対にイジメはいけない」なんて生徒に教えていたとかで、何を今更と(笑)。
そういえば、そのいじめっ子の別の一人はのちにホテルを営んでいて、襟川(陽一、注2)が大学時代にそのホテルで楽器演奏のバイトをしたことがあったそうです(注3)。すごく楽しいバイトだったそうですよ。朝昼夜3食付きで1日何千円とかもらえて、しかもずっと遊んでいて夜だけちょっと演奏すればいいので最高だった、って言っていました。

注2)襟川恵子氏の夫である襟川陽一氏(シブサワ・コウ)。
注3)学生時代、襟川陽一氏はジャズバンドのサークルに所属していた。

子供時代のそういった体験があって、強くなられたんですね。

襟川恵子 父が早く亡くなったことも要因だったかもしれませんね。母は本当にお嬢様育ちで、おっとりとした人でしたから。そんな母に心配をかけたくなかったので、自分のことは自分自身で判断して行動するようになりました。

vol.5
vol.6
vol.7