黒川文雄のエンタメ異人伝  vol. 6

Interview

乙女ゲーム生みの親 襟川惠子氏(上)フランス人形から不良少女へ!?

乙女ゲーム生みの親 襟川惠子氏(上)フランス人形から不良少女へ!?

フランス人形から不良女のイメージに…?!

群馬には3年ほどおられたとのことでしたが、その後は日吉に戻られたんですか?

両親と

襟川恵子 教育には東京の方がいいと親戚たちが言い出しまして、私もいじめっ子たちがいる中学に行くのはイヤでしたからね。それで、母の実家がある日吉の小学校に転校したんですけど、皆さんとってもよくしてくれました。

環境が一変したんですね。

襟川恵子 恵比寿の小学校から長野原小学校(川原湯から通った)へ、そして日吉台小学校と転校しましたが、日吉では全然いじめはなかったです。
父が恵比寿で歯科医をしていたときも、みんなにちやほやされましてね。
よくウチに近所の子とかがお母さんと一緒に宿題のことを聞きに来たりしていました。その中のひとりが偶然にも某社の運転手さんになっていまして、小学生のとき私が憧れの的でフランス人形みたいだったとか言っていたそうなんです。
その話が伝わって、孫正義さんのゴルフコンペに参加して入賞して表彰されたとき、「フランス人形のようだった襟川恵子さん」なんて言われちゃったんです。多くの方がコンペに参加されていたので、何かあると「恵子さんはね、小さい頃フランス人形みたいだった」って(笑)。
それを聞いていた襟川は「今じゃ、魔法使いのオババだ」ですって(笑)。

いい話じゃないですか。

襟川恵子 ところが、知り合いと昔話をしていると、襟川がよくパチンコ屋で私と会ったなんて話も出てくるわけです。
私は出玉を入れた箱を足元に5つも6つも積んで、取られないようにそこに足を乗せて、くわえタバコでパチンコを打っていた、と。タバコの煙が目にしみるから片目をつぶりながら、左手で玉を入れ続け右手で打っていたそうです。全自動でない時代でしたから。しかも彼が言うには、けっこう変わった服を着ていたそうです。
それである年のソニーオープンで、孫さんのゴルフコンペの時にもいらしたノジマ電気の野島社長が一緒で、私がフランス人形みたいだったという話をされていたのですが、翌日には襟川がパチンコくわえタバコの話をしたので、フランス人形から一変、とんだ不良女の話になったんです。
久夛良木さん(注4)たちと食事をご一緒したときにも、パチンコくわえタバコの話を襟川がして、ソニーの方が「やめてください、イメージが崩れます」と言ってくださったこともありました。
パチンコくわえタバコの話は、襟川がシブサワ・コウとして出版した「0から1を創造する力」という自分の本にも書いたらしいですよ。

注4)プレイステーションの生みの親で元ソニー副社長の久夛良木健氏のこと。

いや~、すごいお話ですね。ちなみに陽一さんが書かれたという、その本は読まれたんですか?

襟川恵子 いい話が書いてあるから絶対読むべき、と皆さんおっしゃってくださるんですけれど。どうせロクでもないことしか書いてないでしょうからと、読んでいません(笑)。

クリエイティブに目覚めたのは幼少期から

そんな恵子さんがクリエイティブにのめり込んだきっかけはあったのでしょうか。

襟川恵子 昔からモノづくりが好きでした。今でも同じで、ヒマさえあれば家でも細かいものをいろいろ作っています。それで、出来上がるともったいないですから、今度はそれを生産して会社でグッズにして売ったりとか。
小さい頃からは、レース編みをしてビーズのバッグやお財布を作ったりしました。それを祖母や親戚の人にあげると喜んでくれて、たくさんお小遣いをもらいました。

子供の頃からしっかりされていたんですね。

襟川恵子 父が早くに亡くなってしまいましたから、何かの役に立つだろうということで、お小遣いなどは全部貯めていました。ですから、お金はけっこう持っていました。しかも、親戚には子供が私しかおりませんでしたので、可愛がられていたのです。お小遣いの額も大きくて、お年玉に10万円とか信じられない額をもらっていましたね。

小学生時代にお年玉に10万円ですか? それはちょっとケタが違いますね。

襟川恵子 片親ですから皆、余計に不憫に思ってくれたんでしょうね。それで、貯金もボンボン貯まっていったのです。ですから、母にはいろいろ高額のものをプレゼントできました。そうすると母の母……私の祖母が「恵子は親孝行でえらい」と身内に言うわけです。きっと、祖母は母からあまりプレゼントを貰ったことがなかったのかも知れません。

教育面ではどうだったのでしょうか。やはり教育熱心だったんですか?

襟川恵子 いえいえ、母は私が勉強をしていると怒るんですよ。私はやりたいことがあり過ぎて、昼間はめいっぱい遊んで、レース編みとかいろいろなモノを作って。それで、宿題とかは夜になってからしようと思うわけですが、もう母が電気を消しに来ちゃうんです。勉強なんかしなくていいから早く寝なさいと。

それは意外でした。

襟川恵子 私の母方の祖父は医者で、母がひとりっ子だったので女医にしようとしていたらしいんです。
それで、祖母が日吉の家の裏にいた女医さんに相談したら、やめたほうがいいと言われたそうなんですよ。女性が手に職を持つと生活力があるから、我慢できずに離婚してしまうと。
ですから、私が大学に行くのも親戚は反対でした。短大までは入れてあげるけど大学はダメだと。
しかも、短大を出たら就職先は叔父が役員をしていた大成建設の受付をやれと言われました。
なぜ受付かというと、みんなの目にとまり早く結婚できるって(笑)。

何かいい出会いがあるだろうと。

襟川恵子 信じられないでしょう? 手に職を持つのは絶対ダメと言われていたんです。


波瀾万丈の少女時代を語ってくれた襟川恵子氏。次回以降ではそんな襟川恵子氏と襟川陽一氏との馴れ初め、起業から、乙女ゲームやVRセンスの開発に至るまで、余すところなくお話しいただきます。


続きは第2回インタビュー
(7月24日(月)公開)

乙女ゲーム生みの親 襟川惠子氏(中)大反対?夫シブサワ・コウとの結婚

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2017.07.24

著者プロフィール:黒川文雄【インタビュー取材】

くろかわ・ふみお
1960年、東京都生まれ。音楽ビジネス、ギャガにて映画・映像ビジネス、セガ、デジキューブ、コナミDEにてゲームソフトビジネス、デックスエンタテインメント、NHN Japan(現LINE・NHN PlayArt)にてオンラインゲームコンテンツ、そしてブシロードにてカードゲームビジネスなどエンタテインメントビジネスとコンテンツの表と裏を知りつくすメディアコンテンツ研究家。コラム執筆家。アドバイザー・顧問。黒川メディアコンテンツ研究所・所長。株式会社ジェミニエンタテインメント代表。
黒川塾主宰。ゲームコンテンツ、映像コンテンツなどプロデュース作多数。

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