競輪の死亡事故をご紹介!事故の原因や女子選手の事故など実際の映像とともに大公開!
KPCコンシェルジュの北条凛です。
今回は、競輪で起きた死亡事故についてご紹介します。
競輪は、レース中の最高速度が70kmと超ハイスピードな公営競技。
高速道路を走る自動車と殆ど同じスピードで走るため、事故が起きた際には無事では済みません。
事実、レース中の事故によってこの世を去ってしまった選手もいます。
今回は、そんな競輪の死亡事故についてご紹介!
事故の原因や過去に発生した死亡事故を当時の映像とともに詳しく解説します。
ぜひ、最後までご覧ください。
死亡事故の殆どは「落車」が原因!
競輪は、約70年の長い歴史でレース中に沢山の事故が起きました。
これにより、残念ながら亡くなってしまった選手もいます。
そんな競輪で起きる死亡事故の主な原因は「落車」。
時速70kmで走る選手同士でぶつかったり、雨の影響で滑って落車するなんてこともあります。
いくら強靭な肉体を持つ競輪選手といえど、大怪我や命を落としてしまうことにも繋がってしまうのです。
競技の特性上、事故を減らすことは難しい競輪。
少しでも多くの選手が無事に完走できるように最新の注意を払って、レースに挑んでほしいですね。
競輪で実際に起きてしまった死亡事故7選をご紹介!
落車で死亡事故が発生してしまった競輪。
どのような状況で事故が起き、なぜ選手は亡くなってしまったのでしょうか。
実際に起きた死亡事故とその原因をご紹介します!
今回ご紹介するのは以下の7名です。
- 坂本 照雄選手(2012年)
- 中垣 輝光選手(2010年)
- 内田 慶選手(2008年)
- 服部 雅春選手(2003年)
- 成島 勇選手(1998年)
- 東内 典之選手(1992年)
- 福島 昭亮選手(1967年)
それぞれ事故の詳細について詳しく解説します。
坂本 照雄選手
始めにご紹介するのは坂本照雄選手の死亡事故。
氏名 | 坂本 照雄 |
---|---|
登録地 | 神奈川県 |
期別 | 73期 |
デビュー年 | 1994年 |
没年齢 | 40歳 |
1994年に念願のプロデビューを果たした坂本照雄選手。
デビュー戦、ルーキーチャンピオンレースで2着となり、期待の新人選手として注目されていました。
そんな坂本照雄選手に悲劇が起きたのは、2012年7月に小田原競輪場で開催されたレース。
先頭2番手に付けていた2番車の吉野正彦選手と9番車の長正路樹選手が接触して落車してしまいます。
後方を走っていた坂本照雄選手は、それを見て避けようと内側へ進路を取ります。
しかし、ゴール前でスピードを減速しきれずに写真判定用の緩衝用マットに衝突。
※かなりショッキングな映像になるので、閲覧にはご注意ください。
この衝撃によって坂本照雄選手は意識不明の重体になり、救急車で小田原市立病院へと搬送されます。
心臓マッサージやAED治療など必死の治療も虚しく、外傷性心肺不全で帰らぬ人となりました。
中垣 輝光選手
続いてご紹介するのは中垣輝光選手の死亡事故。
氏名 | 中垣 輝光 |
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登録地 | 福岡県 |
期別 | 47期 |
デビュー年 | 1981年 |
没年齢 | 48歳 |
1981年に甲子園競輪でデビューを果たした中垣輝光選手。
デビュー年に初勝利を記録するなど、若手時代から選手としての才能を発揮していました。
それから着々と実力を身に着け、経験・実績ともに競輪界のベテランに差し掛かろうとしたその時に悲劇が襲います。
それが2020年12月に行われた広島競輪でのことです。
レースを見ているファンや関係者がすぐに異変を気づくほど、最後尾で大きな差をつけられる中垣輝光選手。
最後まで諦めずにゴールを目指しましたが最終3コーナー付近でよろけ始め、転倒します。
それを見て関係者が駆けつけた時には、すでに心肺停止状態だったようです。
その後、病院に搬送されましたがそのまま意識を取り戻すことなく、命を落としてしまいます。
レース前に行われるメディカルチェックで特に異常がなかっただけに、なんとも無惨で悲しい事故となりました。
内田 慶選手
氏名 | 内田 慶 |
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登録地 | 栃木県 |
期別 | 87期 |
デビュー年 | 2002年 |
没年齢 | 27歳 |
2002年に競輪選手としてのデビューを果たした内田慶選手。
翌年の2003年にはルーキーチャンピオンレースで優勝するなど、若手ながら圧倒的な実力を誇っていました。
それそのはず、内田慶選手は公営競技としての競輪だけでなく、自転車競技のケイリンでも輝かしい成績を残しています。
以下をご覧ください。
2004年 | アジア自転車競技選手権 4km個人追い抜き 優勝 |
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2004年 | アジア自転車競技選手権 スクラッチ 優勝 |
2004年 | UCIトラックワールドカップ ポイントレース 6位入賞 |
2004年 | アジア競技大会 団体追い抜き 4位入賞 |
2008年 | 全日本プロ選手権 4km個人追い抜き 優勝 【※2003年から同大会6年連続優勝を達成!】 |
夏のオリンピックでもメダルが期待されるほどの選手でした。
そんな内田慶選手に悲劇が起きたのは、2008年9月に一宮競輪場で行われた第51回オールスター競輪。
※かなりショッキングな映像になるので、閲覧にはご注意ください。
最終周回の3コーナー付近で他の選手に挟まれ接触、衝撃で前輪のスポークが全壊しました。
転げ落ちるように前のめりで落車した内田慶選手は、顔面を強打してしまいます。
そのままうつぶせの状態で動けなくなり、救急車で病院に運ばれましたがクモ膜下出血で帰らぬ人となりました。
服部 雅春選手
氏名 | 服部 雅治 |
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登録地 | – |
期別 | 36期 |
デビュー年 | 1975年 |
没年齢 | 46歳 |
1975年11月の大宮競輪デビュー戦で、初勝利を記録して大会で完全優勝を果たした服部雅治選手。
その後も優勝経験を積み重ね、当時は「車券に絡まないレースはない」と言われるほどの実力者でした。
圧倒的な実力で多くの競輪ファンに支持されていた服部雅治選手に悲劇が襲ったのは2003年1月の伊東温泉競輪。
レース中に左右にふらつきながらも、4着でゴールした服部雅治選手。
ゴール通過後のクールダウンの最中に転倒し、心肺停止状態に陥ってしまいます。
その後、伊東市内の病院に搬送されますが死亡。
当時、服部雅治選手は46歳でした。
落車や転倒以外に死亡する事例は、過去の競輪を見ても初めてのこと。
原因が明らかになっていないため、他の選手が同じような形で命を落とさないような対処が必要ですね。
成島 勇選手
氏名 | 成島 勇 |
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登録地 | 東京都 |
期別 | 76期 |
デビュー年 | 1995年 |
没年齢 | 43歳 |
76期生として1995年8月にプロデビューした成島勇選手。
同年の10月にはプロ初勝利をあげ、これからの活躍が期待されていました。
そんな成島勇選手に悲劇が襲ったのは、デビュー3年目に参加した1998年7月の立川競輪。
最終4コーナー付近で、他の選手と接触し落車してしまいます。
直ちに救急車で病院へ搬送されたものの、翌日に死亡が確認。
死因は落車時の頭蓋骨骨折でした。
デビューから僅か3年でこの世を去り、競輪選手の中でも最も短い人生だったと言われています。
成島勇選手の無念を考えると、悔やんでも悔やみきれません。
東内 典之選手
氏名 | 東内 典之 |
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登録地 | 和歌山県 |
期別 | 48期 |
デビュー年 | 1981年 |
没年齢 | 30歳 |
和歌山支部に所属し、48期生として1981年にデビューを果たした東内典之選手。
デビュー当時から高い実力を誇り、優勝経験は18回と圧倒的でした。
今後の活躍を大いに期待されていましたが、1992年5月に行われた福井競輪で帰らぬ人となってしまいます。
レース中に最終第2センターで前走車に接触した東内典之選手は、転倒して頭部を強打。
すぐに病院へと搬送されましたが、脳挫傷および急性硬膜下血腫で死亡してしまいます。
圧倒的な実力と実績を兼ね備えた東内典之選手の訃報は、競輪界でも悲しいニュースとして大きな話題を呼びました。
福島 昭亮選手
氏名 | 福島 昭亮 |
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登録地 | 埼玉県 |
期別 | 12期 |
デビュー年 | – |
没年齢 | 30歳 |
第12期生としてプロデビューを果たして以来、様々な特別競輪に選抜され、将来を嘱望されていた福島昭亮選手。
1966年に行われた久留米記念では自身初の優勝を記録するなど、順調に実力を伸ばし続けていました。
しかし、その翌年のオールスター競輪で福島昭亮選手は命を落としてしまいます。
1967年4月に開催されたオールスター競輪のドリームレースにおいて、福島昭亮選手は落車して頭部を強打。
その衝撃により、頭蓋骨を骨折して搬送先の病院で死亡が確認されています。
ガールズケイリンでは死亡事故は0!ただ・・・
激しいレースや競輪でかかる身体の負荷によって命を落としてしまった競輪選手たち。
死亡事故で紹介した選手は全て男子選手でしたが、ガールズケイリンはどうなのでしょうか。
ということで、ガールズケイリンで発生した事故についてご紹介します。
今回紹介する選手は以下の2人。
- 永塚 祐子選手
- 石井 貴子選手
ぜひ、最後までご覧ください。
永塚 祐子選手
氏名 | 永塚 祐子 |
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登録地 | 神奈川県 |
期別 | 118期 |
デビュー年 | 2020年 |
年齢 | 39歳 |
級班 | L級1班 |
永塚祐子選手は、不動産会社で営業からガールズケイリンの選手となった異色の経歴の持ち主。
選手となった今では、社会人の経歴を感じさせない力強い走りで高い実力を披露し続けています。
そんな永塚祐子選手ですが、レース中に起きた事故によって大怪我を負うことに・・・
そのレースというのが2021年2月に小倉競輪で行われた決勝のレース。
他選手と接触して落車した結果、右鎖骨・ろっ骨・腰椎圧迫を骨折してしまいます。
その影響で「腹筋に力が入りづらくなった」と永塚祐子選手はコメントしているようです。
後遺症が残るほどの大事故ですが、命に別状がなかったのが不幸中の幸いと言えます。
石井 貴子選手
氏名 | 石井 貴子 |
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登録地 | 千葉県 |
期別 | 106期 |
デビュー年 | 2014年 |
年齢 | 34歳 |
級班 | L級1班 |
2014年のデビュー以降、ビッグレースを5回制覇など素晴らしい成績を残し続けている石井貴子選手。
競輪選手としてこれ以上ないくらい順風満帆かと思ったその矢先、事故に遭ってしまいます。
それが、2021年5月に行われた京王閣ステージ。
トライアルレースに挑んだ石井貴子選手は、レース中に車体接触して落車してしまいます。
これにより、右肋骨多発骨折及び血気胸という病気を患い、現役引退も考えたようです。
しかし、心身ともにボロボロになりながらも過酷なリハビリを乗り越え、現在では元気な姿でレースに復帰!
競輪選手としてのプライドを強く持ち続け、復活した石井貴子選手に多くのファンが魅了されました。
まとめ
今回は、競輪で実際に起きた死亡事故についてご紹介しました。
いかがだったでしょうか。
ポイントをまとめると以下の通りです。
- 競輪で発生した死亡事故の殆どの原因は「落車」
- 競輪で発生した件数は「7件」
- ガールズケイリンで発生した死亡事故は「0」
最速70kmとスピード感のある展開が魅力の競輪。
これまで沢山のファンを魅了してきましたが、非常に危険なスポーツであるということを忘れていけません。
実際に、競輪のレース中に7名の選手が命を落としました。
競技の特性上、完全に事故を無くすことは不可能ですが、安全の対策や防止はできるはずです。
命がけで日々戦っている選手が、少しでも安心して走れる環境になることを心から願います。
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